さて、今回は史璜の紹介じゃな。字と生没年共に不明じゃな。彼もまたマイナー武将故ほとんど語られることのない人物じゃが、見ていくとしようかのう。
さて、今回は史璜の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。お主、史璜の紹介を書き出すまでにえらい時間かけておったが、何かあったのか?
うむ、ワシの場合書籍からその人物の事績を引っ張り出す前に、自分の持っている記憶との齟齬がないか、もしくは忘れている人物の事績を思い出すため、軽くネットで検索をかけるんじゃよ。
そこで自身の情報以上のものがあれば、色んな書籍を開いて、情報が確かかどうかを確認した上で、必要に応じてテキストに追加していく。じゃが今回の史璜はワシの持っておった情報と、ネットで検索した情報が違いすぎたために混乱したんじゃよ。
そんなことがあったのですか、結局原因は何だったのでしょうか。
うむ、史璜で検索をかけた時に最初にヒットしたのが『Enpedia』だったんじゃが、人名を「史郃」とすべきところで「史璜」としていたんじゃよ。これワシでも修正していいんかのう。あの辺りの編集はやったことないから手が出しづらいんじゃ。
人物紹介
さてちょっとごたごたしてしまったが、史璜の紹介に行こうとしようかのう。
彼は元々朱符から張津の頃に蒼梧太守であった人物なんじゃが、張津が亡くなったのと前後して、彼もまた亡くなった、と呉志『士燮伝』には書かれているんじゃ
『Enpedia』とやらの記述を見ると、文帝の時代に孫権の命令で許昌に赴いた、とある、確かに20年以上も前に亡くなっているはずの人物だから、これは混乱するな。
それにしても「郃」を「璜」と間違えるとは皮肉な話だな。
張郃殿の名と同じじゃからなあ。ワシもここでこんな間違いに遭遇するとは思わんかったぞい。
さて、史璜についてはこの亡くなった、と言う記述しかないんじゃよ。それでは続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
史璜は太守としてそこそこ長い期間統治を行っておったと言うことから、平均的な評価に落ち着いたんじゃ。
とは言えほぼ名前のみの登場であるため、全体的に抑え目の評価とさせてもらったんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、史璜の能力評価じゃな。
随分平均的な評価となったな。お主の場合全体的に抑えると言っても武官寄りとか文官寄り、といった違いは普通見られるのだが。
確かにやや文官寄りですが、それでも平均的にどの能力も高いのですね。
まあこれには事情があって、史璜の下には配下武将が一人もいないんじゃよ。彼一人で切り盛りせねばならん。
なるほど、一人で軍政どちらもやっていかないといけないことから、敢えてどちらもそれなりにした、と言うことか。とは言えさすがに一人はきつくないか?
いや、多分普通にやったら速攻で亡ぼされる運命じゃと思うぞい。プレイヤーにとって有利な状況があったとしても、恐らく運がなければ勝ち進むことは無理じゃろうな。と言う妄想ネタを終わらせたところで、史璜の紹介は終わりじゃな。
よし、それでは俺も帰るぞ、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。