三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

士燮(ししょう) 字:威彦(137~226)その1

さて、今回から交州最後の勢力士燮についての紹介じゃ。字は威彦、生年が137年で没年が226年じゃから90歳まで生きた人物なんじゃ。しかも彼は長命なだけでなく、中華の枠を超えて名を残した偉人でもあるんじゃよ。

 

さて、今回は士燮の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。当時割拠していた群雄達のトリを務める大物の登場だな。 

私はあまり詳しくは知らない人物ですが、確か孫権に仕えていたんですよね。

うむ、じゃがその器量は三国を形成した劉備孫権曹操等にも決してひけをとらなかったと思われるほどの人物なんじゃよ。

人物紹介

若い頃の士燮

士燮は蒼梧郡の広信の人物なんじゃよ。

先祖は元々魯国汶陽の人であるが、前漢末期に王莽(新王朝を打ち立てた人物)のために混乱が起きると、乱を避けて交州に移ったんじゃ。

それから六代目が士燮の父の士賜で、彼は桓帝の時代(146~168)に日南太守となったんじゃよ。

日南郡は今で言うベトナム中部の辺りをさしておるんじゃ。この頃ベトナムの中北部辺りは中華に組み込まれておった、と言うことじゃな。

さて、士燮に関してじゃが、若い時に京師(みやこ)に出て学問をし、潁川の劉子奇(劉陶)に師事して『左氏春秋』を修めた、とあるんじゃよ。

学者肌の人物達は多く都へ上がり学問を習熟しているものだが、士燮も同じように辺境から都へ上がって学問を修めているのだな。

後に孝廉に推挙され、尚書郎に当てられたが、仕事上のトラブルに巻き込まれて官を免ぜられることとなったんじゃ。

丁度父が亡くなった時期であったため故郷へ戻るんじゃが、喪が明けたころ、今度は茂才に推挙されて南郡の巫県の令に任ぜられ、その後交阯太守に任じられるんじゃ。

何だかんだで順調に出世の階段を上っているな、これ以降も同じように地位を上げていくのか?

いや、肩書としては士燮は交阯太守のまま、その生涯を閉じるんじゃ。じゃが当然それだけの人物ではないんじゃよ。

太守としての士燮

士燮は温厚な人柄で、慎み深く人に驕ることがなかったため、中原の士人で戦乱を避けて、彼の下に身を寄せて難を避ける人物が何百人もおったそうじゃ。

彼は特に『春秋』を好み、その注釈を著したほどだったんじゃよ。

この頃交州に避難してたと思われる陳国の袁徽は荀彧に手紙を送って、次のように言っておるんじゃよ。

「交阯の士府君(士燮)は豊かな学識を持たれた上に、政治のやり方にも通じておられ、大乱の中に身を処して、一郡の安全をはかり、二十余年に渡りその領内には事もなく、民衆たちはそれぞれの仕事を守ってゆくことができて、故郷を失った人々も、皆その恩恵を受けております。

竇融が河西の地を安全に保ったと言う例も、これに過ぎるものではありません。(竇融は前漢末から後漢初期にかけて活躍し、混乱する涼州を見事に治めた人物)

また公の仕事にいささかの暇ができると、いつも古典を学習し、特に『春秋左史伝』については深く詳しく習熟しておられ、私はしばしば彼に『左伝』の中の疑問点について訊ねましたが、その答えはちゃんとした学者の説に基づくもので、議論も甚だ綿密なものでした。

更に『尚書』については、古文家の説と近文家の説との双方に通じて、その根本の意味合いをも詳細に把握しておられます。聞けば京師(みやこ)では古文と近文の学説の間で、その是非についていきり立った争いがあるとのこと。

ここに『左史伝』と『尚書』とに関する(士燮の)議論の内でも特に優れた部分を箇条書きにして献上したく思います。」

絶賛だな、これだけの人物、自身も一度直接会ってみたかった。それにしても、驚かされるのは荀彧殿の知見の広さだな。まさか交州にまで知人がおり、情報を得ているとは。

確かに色んな人物が荀彧殿と交流を図っておる。だからこそあれだけ多数の人材を的確に推挙することができたんじゃろうな。

不死身の士燮?

さて、師匠が長命なのはわかっている話なんじゃが、『神仙伝』にはちょっと面白い話があるんじゃ。ちと胡散臭い話でもあるんじゃが、ここに載せておこうかのう。

士燮がある時病死をし、既に三日が経っておったんじゃ。そこに仙人の董奉が、丸薬を一つ与えて、士燮に飲ませるようにと言ったんじゃ。

水と一緒にその丸薬を口の中に含ませると、士燮の頭を持って揺り動かしてそれを飲み込ませたんじゃ。

しばらくすると、なんと士燮は目を開き手を動かして、顔色もだんだん回復して、半日もすると立ったり座ったりできるようになり、四日でまた言葉がしゃべれるようになった、とあるんじゃよ。

偉人によくある英雄譚のような話じゃのう。実際にはこの時の士燮はまだ亡くなってはいなかった、と言うことじゃろうな。

さて、丁度キリの良いところまで来たので、ここで一度きるとしようかのう。良ければまた続きを見てくだされい。

 

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