さて、今回は新たな勢力、公孫瓚の後継者である、公孫続の紹介じゃな。先の公孫度と違い、公孫瓚は早くに勢力が消滅してしまったためか、後継者らしいのは公孫続ぐらいしかおらんようじゃな。
さて、それでは今回は公孫瓚の子供である公孫続の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。公孫度とはまた別の勢力になった、と言うことだな。この頃はまだ袁紹殿の下で公孫瓚と戦っていたのだな。
公孫続のことはよく知ってらしたのですか?
直接は知らん、だが父と同様簡単に勝てる相手ではなかった。何せ公孫瓚とは何年も戦い続けた相手だからな。
5年ぐらいは戦い続け、その間公孫続も別軍の指揮官であった訳じゃからのう。それでは公孫続について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事
軍事に関してじゃが、魏志『公孫瓚伝』の恐らく『英雄記』じゃと思うんじゃが、公孫瓚は文則に手紙を持たせて、息子の公孫続の下におくるんじゃが、その内容は次のような感じじゃな。
「袁紹軍の攻撃はそれはそれはもうバリ恐ろしく、地の底から角笛とかの音とかが聞こえるかと思うと、楼上からは雲梯や衝車が動き回って、活躍しちょるんじゃ。ワシ怖くて気が狂いそうで、もうダメかもしれん。
お前(息子)、仲間の張燕に、お前の頭砕けていいからめっちゃ頭打ち付けて援軍頼み込んじゃってちょうだい。軽騎兵が来たら北の方角でのろし上げてくれたらワシも出撃するから、絶対絶対援軍してもらうようにお願いね。
でないと・・・ワシ滅びたらお前も、逃げられんぞ。」
と言った感じだったんじゃな。まあ張燕の兵力期待だったんじゃろうが、息子にも期待しておったのがわかるのう。
公孫瓚の息子と言うこともあって、軍事に一定以上の評価をした、と言うことだな。それにしても上の文章は文則の紹介の所のを写してきたのだな。随分砕けた文章を書いていたのだな。
統率・知謀・政治
統率、知謀、政治に関しては特筆すべき記述が残っていないので、平均的な評価じゃな。
一応、軍事に次いで統率が高くはなっていますね。この辺りも公孫瓚に似た能力になっていますね。
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簡単解説
公孫瓚の小粒版、と言った感じの評価だな。とは言え父を超える武勇とかを見せているわけではないから致し方ないか。
後継者が彼しかいない、と言うのは結構公孫瓚は時間との戦いになる感じですね。
まあいざとなれば別のやつが後を継げばいいだけだが、それでもまあ公孫姓でない人物が後継者となると、もう別の勢力のように感じてしまうからな。
それでも公孫瓚が曹操辺りと同世代ぐらいと考えると、息子もそれなりの長寿であれば230~240年ぐらいまでは戦えそうですね。
文帝(曹丕)よりは多少公孫続の方が年上であろうが、240年頃でもまだ60前後ぐらいだからな。
そうじゃな、公孫瓚は別として、ある程度勢力が伸びれば自然と優秀な配下が揃っておるだろうから、無理に自身が前線に出る必要はないじゃろう。
政治が少し低いが、優秀な補佐役をつけて補填してやれば問題なく戦えるじゃろうな。そんなとこで今日は話を閉めようかのう。
よし、それでは自分も戻るとするかな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。