さて、今回は右北平の烏丸単于である寇婁敦の紹介じゃな。彼も明帝末期の単于として、右北平地方の烏丸を率いておった人物なんじゃよ。
さて、今回寇婁敦の紹介じゃな。上でも書いている通り、烏丸の単于なんじゃよ。
どうも、張郃だ。単于は王の意味をあらわすから、結構な大物になるな。毌丘倹が遼東に進出した際に、魏に降伏した人物だ。
先見性があった、と言う感じでしょうか?
どうだろうな、とりあえず強いものに着く、と言う感じだったのかもしれんが、結果は良い方向に転んだのではなかろうか。
まあワシもこの結果を重視して評価をしたつもりなんじゃ。それでは寇婁敦について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率
魏志『毌丘倹伝』を見ると、右北平の烏丸単于と言うことで軍事面は当然優れていたと判断し、軍事、統率共にある程度高めの評価としたんじゃよ。
ふむ、情勢を見通す目はあるが、基本は武人として評価した、と言うことだな。
知謀・政治
知謀と政治も軍事側よりはやや落ちるものの、情勢を見通し魏に降伏したことなどから、こちらもそれなりの評価としたんじゃよ。
知謀が一番低いのは弟の阿羅槃との比較(阿羅槃は知謀が一番高く75あります)から、少し抑えるようにしたのですね。
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簡単解説
天舞さんにも出ているんですね。師匠とは少し違いますが、外交とかは高くなっているのですね。
単于であったこと、時勢を見る目が合ったことから、天舞よりはこちらの方が評価としては高めのようだな。
ただ、軍事が高かった人物が初期の頃にはいましたから、それを考えると少し軍事が抑え目なのですね。
まあ、烏丸で言うと一番有名だったのが蹋頓と言う人物だったが、自分達が袁一族との戦いの際に彼を倒してからは弱体化しているからな。
そう言えば一番の大物を張郃殿は倒しておったんじゃな。まあその内蹋頓については紹介するので、もう少しお待ちくだされ。
さて、そんなとこで今日は終わりじゃな。
よし、それでは自分も戻るとするかな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。