さて、今回は烏丸王である骨進の紹介じゃな。烏丸王と言うが、彼がどの程度の軍勢を率いていたか、少々不明な部分もあるんじゃよ。
さて、今回骨進の紹介じゃな。上でも書いている通り、烏丸王らしいんじゃよ。
どうも、張郃だ。烏丸王とはまた微妙な呼称だな。だが確か・・・田豫殿によって斬られた人物であったか、なるほど、確かに悩ましい話だな。
田豫さんと絡むと、何か問題があるのでしょうか?
いや、田豫殿はわずか百余騎ほどで骨進の部落に入り、そこですぐに骨進を斬っている。すると彼らの部落はそれほど規模が大きくなかったのではないか?とも考えられるのさ。
まあ、複数の部落に分かれていて、どうしようもなかったのかもしれんがのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・知謀
魏志『田豫伝』を見ると、烏丸王の骨進は狂暴狡猾で恭順の態度をとらなかった、とあるんじゃ。この言葉から軍事、知謀共にある程度高めの評価としたんじゃよ。
恐らくこちらの弱い部分を攻め、正面から攻めようとするとすぐに逃げる。異民族の常套手段だな。だから田豫殿も正面から大軍を送るのではなく、いきなり百余騎のみで部落に侵入したのだな。
統率・政治
統率と政治に関連する記述は特になく、結局魏に反抗していたことから彼は斬られてしまったことから両方とも評価は抑えめとしたんじゃよ。
統率も少し抑えめなのは、部落の規模が大して大きくなさそうであったことからですね。ちなみに骨進が斬られた後は骨進の弟に代わりを務めさせたそうです。
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簡単解説
骨進は斬られる時、抵抗とかしなかったんでしょうか?
先に言ったようにわずか百余騎で部落に急襲するような形で入ったため、対応できなかったのだろう。骨進は出迎えて拝伏した、とあるから逃げ出す暇もなかった、と言うことではないかな。
田豫さんの知略と度胸がさえわたった場面、と言うことですね。
わずか百余騎と言うことは部落全体が骨進の死に対して怒り、攻撃してくれば危ういところであるだろうからな。
異民族は異文化交流になりますから向こうには向こうの事情があるでしょうし、なかなか難しいですな。さて、そんなとこで今日は終わりじゃな。
よし、それでは自分も戻るとするかな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。