三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

速附丸(そくふがん) 字:不明(?~206)

さて、今回は烏丸の速附丸の紹介じゃな。彼は先日少し話をした蹋頓の配下であった人物なんじゃよ。さて、それでは速附丸について見ていくとしようかのう。

 

さて、今回は速附丸の紹介じゃな。先にも書いた通り蹋頓の配下であった人物だ

どうも、張郃だ。柳城の戦いで自分達が倒した敵の中にいた指揮官の一人だな。 

そう言えば張郃さんは張遼さんと共に、その戦いで先鋒を務めていたんでしたよね。

連中は確かに強かったが、こちらには張遼がいたからな。敵としてあれほど恐ろしく、味方としてあれほど頼もしい人物はなかなかいない。誇り高く他者を寄せ付けない部分もあったが、同姓であったためか自分はウマが合ったな。 

そう言えば張郃殿は張遼殿と共に行軍することが多かったですのう。と、ちと横道に逸れたが速附丸について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 速附丸(20歳)  60 45 35 40
 ↓ ↓ ↓ 
 速附丸(45歳)  90 73 62 68

 

さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。

軍事・統率

魏志『烏丸伝』を見ると、206年に曹操は柳城の蹋頓を討伐しに向かったんじゃよ。この時迎え撃った袁尚と蹋頓率いる兵馬の士気は甚だ盛んであったんじゃ。じゃが曹操は高台に上り、敵の兵馬の動きを見極めてから兵を動かし、散々に打ち破ったんじゃよ。

この戦いで袁尚と烏丸の軍は破れ、蹋頓は首を斬られ、速附丸達は遼東に逃げたのだな。強敵ではあったが、さすがに丞相の指揮には敵わんかった、と言うことだ。 

知謀・政治

そして遼東に逃げた速附丸であったが、彼等にはもうその先がなかったんじゃよ。袁尚達が斬られると共に、速附丸達も役所に捕らわれ、皆斬られてしまったのじゃよ。

遼東に逃げても結局どうしようもなかったのでしょうが、見通しの甘さがあったのは否めず、それが知謀と政治が抑えめにされている理由なんですね。

 

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簡単解説

速附丸も単于である訳ではないので、能力的には抑えめなのですね。

そうだな、蹋頓も単于ではなかったが、彼は実力でのし上がった人物であり、おそらく当時の烏丸の中では能力は一番であったと思う。それと比べるとやはり速附丸は一段落ちる評価となるのであろうな。  

そう言えばちょっと気になったのですが、速附丸の名前の最後に丸がついているのは、民族の烏丸と何か関連があったのでしょうか。

そこはあまり気にしたことがなかったが、そう言われると確かもう一人烏丸には速僕丸と言う人物もいる。語尾に丸が付くことにも何らかの意味があるのかもしれないな

ワシもそこは見落としていたのう。まあ何も出てこないとは思うが、一度調べてみることとしようかのう。さて、それでは今日はこれにて終わりじゃな。

よし、それでは自分も戻るとするかな。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。