さて、今回は烏丸一番の大物、蹋頓の紹介じゃな。後漢から三国時代にかけて、烏丸の単于は世襲で行われることが多いんじゃが、蹋頓は本家筋ではなかったのを、実力でのし上がって言った人物じゃな。
さて、今回は蹋頓の紹介じゃな。曹魏にとって、一番の強敵であったと異民族の首領じゃな。
どうも、張郃だ。蹋頓は実力で単于代理のような立場になったからな。史書ではあっさりこちらが勝利したように書いているが、実際はそんな楽でもなかったのだ。
そう言えば今のところ、そんなに史書の記述が多い人物はいないですが、記述の多い人物の紹介の時はどうされるのですかね?
ふむ、たしかに一回の紹介で済まないケースも絶対に出てくるであろうな。そこは追加でやる、と言う認識で良いのか?
そうじゃな。一回目は基本今やっている流れの通りじゃが、例えば戦績が多数ある有名武将なら戦績と勝敗、戦場における活躍の状況などを二回目以降に補足として入れていったり、エピソードを追加していくようにするつもりじゃ。
今までは最後に能力評価を行っていたのを頭に持ってきただけで、後の流れは同じじゃ。興味ある方は追加エピソードなどを見てもらう、と言うのが良いと思ったんじゃよ。それでは蹋頓について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率
魏志『烏丸伝』を見ると、遼西の大人丘力居が亡くなった際、息子の楼班はまだ年若く、従子の蹋頓に武略があったので、彼が三王の配下を統括した、とあるんじゃ。この時王を名乗っていたのは丘力居(遼西の大人、故人)、難楼(上谷の大人)、蘇僕延(遼東属国の大人)、烏延(右北平の大人)とおり、彼らの配下を統括すると考えると結構な統率力や武勇が必要だと思うんじゃよ。
軍事は当然高いとして、数万家の人民を従えていることになるから、この時期の異民族としてはかなりの規模だな。それ故に統率もこれだけ高くなった、と言うことか。
知謀
曹操がひそかに柳城を討伐しようとしたんじゃが、結局は蹋頓の軍に発見されており、また魏志『烏丸伝』をみると蹋頓は策謀をめぐらすことを好む人物であった、とあるんじゃ。
結構抜け目ない性格をしている、と言うことですね。それ故に知謀も結構高くなった、と。
政治
政治に関しては異民族の王たちの中でも、特段低いわけでも高いわけでもないんじゃが、結局は曹操に反抗し、討伐されてしまったことからやや抑えめとしたんじゃ。
まあ斜陽の袁家に従うのかどうか、一番の政治的判断だからな。公孫康と決定的に違う場面だろう。
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簡単解説
次世代キャラクターの中では、公孫康に次いで優秀な人物、と言う感じですね。
お主の師匠の評価以外で見ると、天舞三国志がかなり高いな。三国志14はまあ武将としては十分使える評価だな。
そう言えば史書を私もちらっと見たのですが、一応袁紹によって単于にはされているのですね
まあほとんど袁紹殿の独断で与えた官位だからな。それに結局楼班が成長した後は楼班を単于として立てられているから、やはり代理であった、ということであろうな。
彼ほどの人物が曹操に降らなかったのは、それだけの実力があると思っていたのか。あそこで終わってしまったのがちと惜しまれるんじゃが、それも含めて実力であった、と言うことなのかのう。ワシは高い評価にしたんじゃが、結構議論の余地のある人物じゃと思うぞい。さて、今日はこれにて終わりじゃな。
よし、それでは自分も戻るとするかな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。