さて、今回は烏丸の普富盧の紹介じゃな。彼は代郡の単于代行で、那楼と共に曹魏に祝賀しに来た人物なんじゃよ。
さて、今回は普富盧の人物紹介じゃな。彼は代郡の単于代行だったようじゃな。袁尚達が公孫康によって斬られた後、那楼と共に祝賀に来た人物じゃ。
どうも、張郃だ。普富盧の場合はそれだけでなく、216年に丞相が鄴に帰還した時にも普富盧は配下の侯王と共に来朝していたようなのだ。
もしかして張郃さんはその時に普富盧と会っているんですか?
いや、この時自分は夏侯淵殿や徐晃殿等と共に漢中に駐屯して劉備達と対峙していたからな。さすがに戻っている余裕はなかった。
時期的には張郃殿は張飛と戦っていたころかもしれんのう。あの猛者相手に対峙し続け、人民を移住させていた、と言うのもなかなかおかしなことをやっている、と思うのう。
とは言え、負けは負けだ。お主の評価でも張飛は軍事、統率、知謀バランスよく高く、将としては非常にすぐれた人物だったではないか。
まあそうじゃがな、自身の張飛の評価が高いのはやはり張郃殿との戦いがベースになっているんじゃよ。と余談はここまでにして、普富盧について見ていこうかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・知謀・政治
魏志『武帝紀』を見ると、遼東に逃げ込んだ袁尚や蹋頓が公孫康に斬られ、曹操が易水に到達した頃、代郡の単于代行の那楼が配下の名王を引き連れて祝賀に来た、とあるんじゃ。更に216年もまた来朝しておる、と言うことから安定して統治しておったようじゃな。
長期間魏と良好な関係を築いていたことから、軍事だけでなく、知謀と政治もそれなりの高さになっているのだな。
統率
統率も低くはないんじゃが、216年の時点でも単于代行であった、と言うことから、真の統治者ではないということで、少しだけ統率は抑えめの評価としたんじゃよ。
とは言え、統率も極端に低いわけではなく、バランスは非常に良い感じですね。
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簡単解説
普富盧は代郡の烏丸代行とのことですが、そう言えば単于の名前は出てきました?
名前は・・・そう言えば出てきていないな。名前が見えてこないのはちょっと珍しいな。
やっぱりそうなんですね。実はいなかった、と言うパターンとかなんでしょうか。
どうかな。わざわざ名代を務める必要性が無いように思うがな。この辺りは直接相対していないから分からんな。
もうこの頃はずっと張郃殿は西部戦線で戦っておったからのう。もしかしたら以前代行だったから、と言うことでそのまま流用しただけで、実はちゃんと単于になっていたかもしれんがのう。さて、そんなところで今日はこれにて終わりじゃ。
よし、それでは自分も戻るとするかな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。