さて、今回は烏丸の魯昔の紹介じゃな。彼は太原郡の烏丸王で、曹操によって長安に留めおかれた人物なんじゃ。彼は非常な愛妻家であり、それがために破滅した人物なんじゃよ。
さて、今回は魯昔の人物紹介じゃな。彼は太原郡の烏丸王だったんじゃが、曹操の漢中討伐に従っておったようじゃな。
どうも、張郃だ。彼は漢中を制圧した後、長安から異民族対策のために長安近辺に留めおかれておったようだな、しかし・・・。
上で謀反とありますが、何かあったのですか?
うん、本人にとっては少々不名誉なことだが、魏志『梁習伝』の裴注『魏略』によると彼は晋陽に置いてきた愛妻恋しさに謀反し、幷州に立ち戻ってしまったのだ。
え、奥さんのために職務を放棄しちゃった、と言うことですか?
うむ、『魏略』によると、魯昔は任地から帰れなくなる、妻とは二度と会えなくなるのではないか、と言う懸念があったために行動を起こしてしまったようなんじゃな。
いくら愛妻家とは言え、それで謀反を起こすのは論外だがな。
まあそうじゃがな、とは言え、異民族故に扱いはどうしても軽くなるじゃろうし、結果妻に会えなくなるかも、と言うのも少し同情すべきポイントじゃからのう。それでは魯昔について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事
魏志『梁習伝』の裴注『魏略』によると、魯昔は弓の名手であり、妻を連れだした魯昔を恐れ、官民ともに手を出せなかった、とあるんじゃ。
なるほど、個人的武勇の高さから、軍事を高くしたのだな。
統率
謀反した時魯昔は500騎の騎兵を率いて動いておったようじゃな。
あまり多くの軍勢を統率していたわけではあかったようですから、それで統率は少し抑え目の評価にしたのですね。
知謀
魏志『梁習伝』の裴注『魏略』によると、妻を連れだす際には配下の騎兵を山間の谷間に留めおき、単身晋陽に侵入したようなんじゃ。そのため州・郡も彼等が城を出るまで気が付かなかった、と言うことなんじゃよ。
ふむ、策を弄した形だが、州・郡の役人たちにも気づかせなかった、と言うことで知謀は高めの評価なのだな。
政治
政治はそうじゃのう・・・やはり謀反した理由が理由だけに、ちょっと高い評価という訳にはいかんかったんじゃよ。馬も妻を乗せて二人で走っていたために遅く、結果梁習の命令で追撃をかけてきた鮮卑人たちによって二人とも射殺されてしまったんじゃよ。
さすがに殺害された状況を考えても、正しい判断っを行っていたとは思えず、評価が抑えめになるのは仕方がないですね。
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簡単解説
そう言えば何気に太原郡の烏丸って、初めて出てきたんじゃないですか?
確かに幽州方面ばかり出てきてて、幷州方面の烏丸はあまり出てきていない気がするな。
武将としては軍事と知謀が高い、奇襲部隊向けの優れた能力の持ち主だっただけに、その最後はあまりにも残念でしたね。
あまりにも短絡的な行動であったな、ちゃんと事情を説明すれば、丞相も妻を迎えに行くことを許可したはずだ。
この辺りは異民族故、誰にも相談できないと言ったような事情もあったかもしれん。孤独の中、誰にも相談できなかったのかも、と思うと少し同情してしまうんじゃよ。さて、そんなところで今日はこれにて終わりじゃ。
よし、それでは自分も戻るとするかな。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。