三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

成律帰(せいりつき) 字:不明(?~?)

今回は成律帰と言う人物の紹介じゃな。彼は軻比能と争った素利の弟に当たる人物だったんじゃよ。

 

さて、今回は成律帰の紹介じゃな。彼は鮮卑族の一方の雄であった素利の弟に当たる人物だったんじゃよ

どうも、張郃だ。素利が亡くなった時に素利の息子が幼かったことから、成律帰が代わりに王に立てられ、配下を統制させ、これによって彼は名前が残ったのだな。 

烏丸族の丘力居が亡くなった時と同じような状況だったんですね。この時は蹋頓が一時的に王になりましたが、楼班が成長した時に格下げになるなど、ちょっとした確執がありましたが、成律帰の方はそういうのはなかったんでしょうか。

そこまでは記録に残っていないし、俺も把握しきれていないからわからんな。 

うむ、それでは成律帰について見ていくとしようかのう

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 成律帰(20歳)  70 75 45 60
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 成律帰(45歳)  101 106 73 90

 

さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

魏志鮮卑伝』によると228年素利が亡くなったようなんじゃな。そして息子がまだ幼かった、とあることから、成律帰が代わりの王となり、その配下の統制に当たるようになったんじゃよ。

軍事がある程度高いのは当然として、王となり配下を統率した、と言うことから統率も高めの評価としたのだな。 

ただ、他に記述がないことから、全体的には抑えめの評価としたのですね。

 

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簡単解説

成律帰のその後は少し気になりますね。

まあ何か大きな騒乱を起こしていたとすれば記録に残るであろう。  

特に何も記述がないと言うことは無難に統治していた、と言うことですか。

恐らくはそう言うことであろうな、だからこそ政治も少し高めにしているのじゃな。

一応、その辺りを意識して、少し政治を高くしたのは確かじゃな。とは言え記録にはないから無難な値じゃがな。さて、それでは成律帰についてはここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。

それでは俺も帰るとしよう。次もまたよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。