三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

扶羅漢(ふらかん) 字:不明(?~?)

今回は紹介するのは扶羅漢じゃな。彼は泄帰尼の父であり、軻比能に殺害された人物なんじゃよ。

 

さて、今回は扶羅漢の紹介じゃな、上でも書いておるが扶羅漢は泄帰尼の父親であり、数万の衆を擁しておった大人の一人だったんじゃ

どうも、張郃だ。歩度根と協力関係にあればもう少し違った未来があったのかもしれないが、相手が悪かったな。 

確か烏丸族の能臣氐が軻比能を呼び寄せちゃったんでしたっけ?

そうだな、最初は扶羅漢に従おうとしていたが、見切りをつけ軻比能を呼び寄せたら、扶羅漢との会見で、軻比能は扶羅漢を殺害して、部族ごと吸収してしまった。 

その時に泄帰尼は軻比能の配下になったのですね。

そうじゃな。じゃが後に泄帰尼は軻比能の下を脱出し、最終的には魏の庇護を受けることになるんじゃ。息子に比べると扶羅漢は少し器量が劣っていたのかのう

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 扶羅漢(20歳)  70 25 45 30
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 扶羅漢(45歳)  101 51 73 57

 

さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。

軍事・統率

魏志鮮卑伝』によると能臣氐が扶羅漢に従おうとしたところ、扶羅漢は騎兵一万余を引き連れてきたとあるんじゃが、彼らは必ずしも扶羅漢に心服はしていない、と言うことで能臣氐等は見切りをつけるんじゃよ。

大人とは言え、扶羅漢の統率力に疑問あり、と言うことで統率は抑えめの評価としている、と言うことだな。 

知謀・政治

兄である歩度根の指導力が先代ほどではないと言うことから、本来なら兄を盛り立て、勢力の維持に努めねばならんところが、兄とは別に勢力を築き、結局軻比能に殺害され、部族も吸収されているのはちと辛い評価となるのう。 

確かに兄と反目して、それで大きく勢力を伸ばせたのなら別ですが、結局彼もその前に亡くなってしまった訳ですからね。

 

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簡単解説

息子と違って、三国志14と天舞三国志には出ていないのですね。

息子の方が多くの記録を残していて、鮮卑族を代表とする人物のひとりであったから仕方あるまい。  

そう言えば師匠、今日はテキスト起こすのにずいぶん時間かかっていましたけど何ででしょうね。

あー、あれは恐らくある人物を載せるかで迷っていたようだな。智鬱築鞬と言う人物だが、正史の人物ガイドなどでは先に紹介した鬱築鞬と別人として紹介されていたんだが、事績を追いかけるとどう考えても鬱築鞬と同一人物なのではないか、と悶々と悩んでいたようだ。

それで時間がかかったんですか。ちなみに智鬱築鞬はどういった記録が残っていたのですか。

『魏氏春秋』によると、田豫が泄帰尼らを指揮して討伐に向かい、軻比能と智鬱築鞬を大いに破ったとあり、その後帰還の途中に軻比能に包囲した、とあるんじゃ。この辺りは鬱築鞬を討伐した時の軻比能の動きと全く一緒なんじゃよ。

 

なのでワシは鬱築鞬と智鬱築鞬を同一人物と判断したんじゃよ。さて、そんなところで今回はここまでじゃな。

それでは俺も帰るとしよう。次もまたよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。