さて、今回は傅嘏の父である傅充の紹介じゃな。字ははっきりしないが、傅嘏の父は傅介子とも言われているので、介子が字なのかもしれんのう。記録は少ないようじゃが彼についても見ていくとしようかのう。
さて、今回は傅充の紹介じゃな。彼は傅嘏の父で、傅祇の祖父に当たる人物じゃな。
どうも、張郃だ。傅充は黄門侍郎に任命されたのだったな。黄門侍郎は皇帝の側近として諸官に勅命を伝達する役割を担っていたのだ。
黄門侍郎と言うと水戸黄門を思い出すのですが、何か関係あるのでしょうか?
ほう、良いところに目を付けたな。水戸光圀は中納言と言う役職に就いており、これがちょうど黄門侍郎と同じ役割と見られたことに由来しているんじゃよ。
張郃殿の言う通り、何気に関係はあったようなんじゃな。さて、それでは傅充の評価を見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀
魏志の記録を見ると、軍事、統率、知謀面で突出した何かの実績を残した、と言う記録はないことから、この部分においては平均的な評価としたんじゃよ。
この辺りは傅氏共通の評価となりそうな話だな。
政治
政治に関しては黄門侍郎としての役職に就き、宮中でそれなりの存在感を示していたと思われることから、他の三項目よりは高い評価としたんじゃよ。
他より高いとはいえ、役職に就いた以上の実績は見えないことから、息子や孫よりは抑えめの評価となった訳ですね。
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簡単解説
実績は見えてきませんが、彼もまた優秀な方だったのでしょうね。
才知が子や孫に受け継がれ、本人も一定の官位についている以上、才覚に大きな差はなかったと思われるが、実績を残せるかどうかはまた別の話だからな。
そう考えると評価すると言うのは難しいですよね。
まあ、おぬしらの学校の成績もそうであろう。才能があっても結果が伴わなければ評価はされない。評価すると言うのはそう言うことだ。
まあそう言うことじゃな。とは言え役職に就いていたという記録が残っているだけでも、十分大したもんじゃと思うんじゃよ。さて、そんなところで今回は終わりとしようかのう。
ふむ、少し吹っ切れたか?それでは自分も帰るとしよう。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。