さて、傅巽の紹介じゃな。彼は傅嘏の兄であり、当初は劉表に仕えておったが、後に魏に仕えるようになったんじゃよ。彼も弟同様優れた人物であったようじゃな。
さて、今回は傅巽の紹介じゃな。魏志『劉表伝』の裴松之注『傅子』によると、容貌優れ博学で、人物評価の能力があった、とあるんじゃよ。
どうも、張郃だ。傅巽殿は、劉琮を説得して曹丞相に降伏させた方だな。
そういえば劉琮は最初は曹操に抵抗しようとしていたのでしたっけ。
そうだな。劉琮と劉備を比べてどう思われますか、と聞いて劉琮が劉備には敵わないと答えると、その劉備でも曹操には敵わないのですよ、と言って説得するのだな。
そうじゃな更に、もし万が一劉備が曹操に抵抗できるなら、劉備は劉琮の下風に立つでしょうか、と叩きつけるんじゃよ。
それにしても、君主相手に結構過激なことを言っておるのう。さて、それでは能力評価を見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率
軍事面に関しては魏志各所を見ても、特に軍事で卓越した実績を残したりはしておらんようなんじゃ。
この辺りは傅祇や傅充でも同じような傾向を示しているな。
知謀
知謀に関しては上で劉琮を説得したこと以外に、人物鑑定でも評価されており、有名なところで龐統を不完全な英雄と評し、裴潜をいずれその清潔な品行によって名を挙げるだろうと保証したんじゃ。また魏朝廷に仕えていた魏諷が才知ある人物として有名であったが、傅巽は彼は謀反を必ず起こすと言い、実際彼の言ったとおりになったんじゃよ。
劉琮をうまく説得したところは機知を感じさせますし、人物鑑定に優れていることからも、知謀は高めの評価となっているのですね。
政治
魏志『劉表伝』裴松之注の『傅子』によると、彼は三公の府に召され、尚書郎にされたんじゃ。『傅嘏伝』によると、黄初年間(220~226年)に侍中尚書になっていたようなんじゃよ。
役職としては重要な地位に就いているが、それ以降の目立つ実績は見えてこないから、少し抑え目な評価となっているのだな。
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簡単解説
そう言えば龐統に対する不完全な英雄、と言うのはこれは評価していることになるのでしょうか。
これは表現の仕方が悪いな。不完全な英雄ではなく、半ば英雄である、と言う意味だ。言い方ひとつで随分受ける印象が変わってくるであろう。
確かに半ば英雄である、と言われると随分高く評価している、と思えますね。
龐統の場合は性格やらを見ると、曹丞相のように中華に覇を唱えるような人物ではない。更に当時は天下統一のために支える君主もいなかった。半ばと言うのはその辺りを評していたのであろう。
確かに能力評価もそうであるが、どれだけ内に才能を秘めていたとしても、それを発揮する場面がなければ、評価することはできなくなってしまうからのう。
まあ、龐統も魏に仕えていれば、とは思うが逆に能力を発揮しきることなく、生涯を終わらせていたかもしれないからな 。
その辺りはしょせんIfの話じゃから何とも言えんが、現実でも環境が変わったら能力を発揮できなくなると言うことは普通にあるからのう。さて、今回はここまでとしようかのう。
それでは次は傅嘏殿の逸話と言うことだな。それでは次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。