さて、今回から冀州の袁一族の紹介じゃな。トップバッターを飾るのは袁遺じゃな。彼は魏志『武帝紀』の裴松之注『英雄記』によると、袁紹の従兄に当たるようなんじゃよ。
さて、今回は袁遺の紹介じゃな。袁紹の息子ではないが、一族であり袁紹と関係もあったことから、ここに載せているんじゃよ。
どうも、張郃だ。袁遺は曹丞相も、その努力を高く評価していた人物だったな。
曹操さんに評価されるってなかなかすごい話ですね。
丞相は「成長してからよく学問に励む者は、ただわしと袁伯業とだけだ。」と袁遺をたたえたとあるな
袁遺の場合、他にもエピソードがあるからのう。それでは早速見ていこうかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率
軍事面に関してじゃが、魏志『袁術伝』の裴松之注『英雄記』を見ると、袁紹は袁遺を派遣して揚州を支配させたんじゃが、袁術との戦いに敗れ、沛国に逃走して、兵士により殺害された、とあるんじゃ。
袁術と戦いで敗れたこと、そして兵士の反乱により殺害されたことから、こちらの評価はかなり抑えめなのだな。
知謀
知謀に関しては先に曹操が袁遺を高く評価していることに加え、『張超集』によると、張超は朱儁に次のように袁遺を推薦しているんじゃ。
「世間に冠絶した美徳、時代を動かす器量を持ち、その誠実公明さは、まことに天が与えたもうたものです。
書籍を網羅し、百家を総合し、高所に登ってよく詩を作り、物事を識別して、その名を知ると言った点になりますと、現代に探し求めることは困難で、匹敵する者はございません。」
べた褒めですね。ただ文面からも、博学で物事の本質をよく理解している、と言うことはよくわかりますね。それで知謀は高いのですね。
政治
張超が袁遺を推薦した当時、袁遺は長安の令であったと言う。次に反董卓連合軍の時は山陽郡の太守、そして後に袁紹によって揚州の支配を任されておることから、順調に政治家としての階段を上っておった、と言うことじゃな。
政治家としては目立つ実績こそないが、権力の階段を順調に上っていたことから、こちらも一定以上の評価であった、と言うことだな。
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簡単解説
師匠の評価も高いですが、他の作品も全体的に評価高いですね。
三国志14がちょっと中途半端な感じの評価になっているな。
そう言えば師匠や天舞の評価とかを考慮すると、知力か政治のどちらかは80ぐらいあっても良さそうですよね。
まあどちらかと言うと演義から入った場合の評価なのであろう。どこが軸になっているかで評価は変わるものだ。
そうじゃな。元々コーエーテクモさんの三国志は演義の評価から入っておる。だから諸葛亮は知力100が基本ずっと守られている訳じゃからな。
それで一貫しているなら何も問題ないからな 。
まあ微妙に演義と正史の評価が入り混じっているのが厄介なところなんじゃがな。じゃから自分はなるべく正史を軸にしようと思ったんじゃよ。
袁遺は記述こそ少ないモノの、記述の内容は濃厚でかなり評価できる人物と思ったんじゃな。さて、袁遺の人物紹介如何だったじゃろうか。今回はここまでじゃな。
それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。