さて、今回は袁紹の息子袁尚の紹介じゃな。袁譚と袁煕の弟であり、美貌の持ち主であり、武勇に優れた人物であったと言う評判だったんじゃよ。
さて、今回は袁尚の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。器量もあり、武人として優れたお方であった。それだけに惜しいな。
あまり評価は高くありませんが、張郃さんの話を聞くと結構優れた人物なのですね。
一武将として生を全うすれば、間違いなく優れた将として歴史に名を刻んだであろう。
確かに、滅亡したことで実質以上に低い評価になった可能性は考えられるのう。それではワシの評価を見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率
軍事面に関してじゃが、彼は武勇に優れとあり、実際兄の袁譚との戦いでも終始袁尚が勝ち続けており、袁譚は形勢をひっくり返すために、敵である曹操に救援を求めるほどだったんじゃ。
また、魏志『袁紹伝』を見ると、袁紹が亡くなった後、曹操に攻められ袁尚と袁譚が協力して戦った際、曹操は勝利を収めたとあるんじゃが、その後攻め込まずに許へ退却しているんじゃよ。実はこれ曹操が結構苦戦したことから、損害が増えるのを嫌って、両者が元々仲が良くないことから、自然と敵対関係になることを待って、一時的に退却したのではないか、とワシは思うんじゃよ。
確かに、曹丞相も油断ならない、と判断したからこそ、劉表よりも袁兄弟を標的にしたわけだからな。
知謀・政治
政治と知謀に関しては実績がなく、また兄弟が協力すべきところを敵対していたことで、曹操に付け込まれてしまったことなどから、どうしても少し辛めの評価となってしまうかのう。
最後の時も冷静に状況を判断している袁煕に比べると、袁尚の方が無邪気と言うか、ちょっと呑気な感じがありますものね。
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簡単解説
袁煕同様に天舞さんの評価はやはりあまり高くないのですね。
袁一族は全体的に抑えられた評価であったようだからな。これはこれで一貫した評価基準であったのだろうからな。
確かに元々袁紹は優柔不断とした評価が多かったですし、息子たちも相争うと言うのは愚かである、と言う評価に落ち着いちゃいますからね。
日本の戦国時代で言うと、武田勝頼に近いのではないか。彼も武田家を滅亡させたとして随分低い評価となっていたはずだ。
確かに、元々武勇で言うなら父以上と言う評判にもかかわらず、ゲームなどでの軍事能力は尽く父に及ばない評価になっていたからのう。
お主が参考にしておる天下統一辺りから評価が少し変わってきたのではないか。
確かにあれは勝頼の評価がかなり高く、武将としてなら一級品のものとなっておったのう。袁尚の評価も確かにあれに少し倣ったところはあると言えるかのう。さて、袁尚の人物紹介はここまでじゃが、如何だったじゃろうか。今回はここまでじゃな。
それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。