三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

高幹(こうかん) 字:元才(?~206)その2

さて、今回は高幹の主な事績を追いかけていくとしようかのう。戦闘記録はあまり多くないながらも、それが脅威だったのは確かなんじゃよ。

 

さて、今回は高幹のいくつかのエピソードを見ていこうかのう。彼はあちこちに事績が分散しているので少しまとめるのに時間がかかったんじゃよ。

どうも、張郃だ。立伝されていない割に情報量が多い人物だからな。致し方あるまい。  

張郃さんは高幹さんのことを知っているのですよね。

もちろん、いろいろ言われているが、能力も覇気もあり、優秀な人物なのは間違いない。ただ、少々自信過剰気味だったのかもしれないな。 

最終的には無謀ともいえる反乱を起こして、敗れているわけですものね。

とは言え、それは結果を知っているワシらの感想でしかないからのう。あの当時の高幹が脅威であったのは事実であろうし、魏に対しても脅威になっておったのは確かじゃと思うんじゃよ

そう言われると、確かに歴史の結果を知っているから、と言うのはあったかもしれませんね。それでは実績の紹介をお願いいたします。

人物紹介

主なエピソード

河東における戦い

魏志『荀彧伝』を見ると、袁紹が亡くなった後、曹操袁尚袁譚を攻撃するんじゃが、この時に高幹と郭援が黄河の東部を侵略し、関右が激しく動揺した、とあるんじゃ。

単なる侵略だけなら撃退するだけで良いのでは、と思うんじゃが、この時は別の動きもあり、魏志鍾繇伝』の裴松之注『戦略』によると、袁尚は使者を派遣して、馬騰韓遂らと連合した、とあるんじゃよ。

彼等が連合したとなると、この時期関中方面を統括しておった鍾繇殿は東西から攻め込まれることになり、非常に危険な状態であった訳だな。 

ただ、魏志『張既伝』を見ると、これに対し鍾繇も張既や傅幹と言った人物を派遣したんじゃよ。張既は彼等に対して利害関係を説明し、馬騰達を従わせることに成功したんじゃよ。そして馬騰達の戦力があったからこそ、郭援を打ち破ることができたわけなんじゃな。

こうやって見ると結構綱渡りな状態だったことが伺えますね。袁尚馬騰達に誘いをかける戦略はなかなかのものですし、河東に攻め込んだ高幹たちが脅威であったことも大きいですよね。

こういうのは結果だけを追いかけていては見えては来ないからな。敗者だから弱かった、と言うような単純な話ではないことは確かだ。 

高幹の評判

さて、ちょうどこの時期じゃと思うんじゃが、ある人物が高幹の下を訪れるんじゃ。魏志『劉劭伝』の裴松之注『昌言』を奉る表(上奏文)に次のような話が載っているんじゃ。

当時幷州刺史であった高幹は身分高く名声があり、故郷を離れている四方の人士を招聘したので、彼の下に身を寄せる者が多数いたんじゃよ。

ここに仲長統と言う人物が訪れたんじゃが、高幹は彼をよく待遇し、世の中の状況について質問しようとしたんじゃよ。すると彼は高幹に向かって次のように言ったんじゃよ。

「君(との)は雄大な意思をお持ちですが大きな才能はなく、人物を好んでおられますが人を見分けることができません。君のために深く警告する次第です。」

結構辛辣なことを言っているのですね。高幹はどうされたのでしょう。

結局高幹はこの意見を聞き入れず、仲長統も高幹の下を去っていくのを止めなかったんじゃよ。

ちなみに四海の人士を集めておったのは本当と思われるんじゃ。それは次の所で話をするとしようかのう。

高柔との関係

魏には高柔と言う名臣がいるんじゃが、彼は高幹と同族であったようなんじゃ。裴松之注の『陳留耆旧伝』と正史本伝では少し関係が違っておるが、正確な情報が載っているのは『陳留耆旧伝』の方と考えて、ちょっとまとめてみたんじゃよ。

高幹一族

正史本伝では従兄としか書いておらんのじゃが『陳留耆旧伝』では上の系図のような関係で、従兄ではなく、叔父甥の関係と思うんじゃな。さて、時代は少し遡って、呂布兗州を乗っ取ろうとした時期のことじゃ。高柔は陳留にいたんじゃが、当時の陳留太守が呂布と共に曹操に反乱した張邈であり、不穏な情報から返事が起こることを恐れておったんじゃ。

そこに高幹から誘いの声がかかり、一族を挙げて高幹の下へ身を寄せた、とのことなんじゃよ。

高柔は鮮かに巻き込まれるのを恐れていたから、と言うのはあったであろうが、名声の高い人物を集めようとしていたことが伺える話であるな。 

高幹の野望

さて、高幹について今までは袁家と歩調を合わせるように行動しておったんじゃが、それだけではないことが伺える話があるんじゃよ。

魏志『牽招伝』を見ると、袁紹そして袁紹が亡くなった後袁尚に仕えていた牽招は、袁尚の命令により、上党から郡量を調達させようとしたんじゃ。

じゃが牽招が戻る前に袁尚は敗北して逃走してしまったんじゃ。

この時牽招は幷州の立地条件(東は恒山の要害があり、西は大河の固めを持ち、五万のよろい武者を有して、北方の強力な蛮族を阻んでいることから、袁尚を迎え、力を合わせて変化を見よと高幹に勧めてみたんじゃよ。

じゃが、高幹はこれを聞き入れず、ぎゃくに牽招を殺害しようとしたので、牽招は逃げ、袁尚を追いかけることもできなかったので曹操に降伏することとなったんじゃよ。

高幹は唯々諾々と従っていたわけではなく、自身が独立して幷州に割拠しようとしていた、と言うことですか。

恐らくそう言うことじゃろうな。自身の野望も持ち、じゃまな存在と思ったからこそ袁尚の受け入れを拒否し、提案した牽招も殺害しようとした、と言うことじゃ。何だかんだで自分に自信があったと言うのは本当だったんじゃろうかのう。

さてそんなところで高幹の紹介は終了じゃな。良ければ次もまたよろしくお願いしますぞい。

 

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