さて、今回は張飛の孫、張苞の子である張遵の紹介じゃな。彼は諸葛瞻と共に魏の鄧艾と戦うんじゃよ。彼がどんな人物であったのか、見ていくとしようかのう。
さて、今回はから張飛の一族について見ていくとしよう。まずは張飛の孫の張遵の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。魏志『鄧艾伝』では、彼の役職を見ると尚書となっている。珍しいな。
尚書と言うと上奏文とかを扱う役職ですよね。バリバリの文官なんじゃないですか?
確かに本来なら前線で鄧艾と戦う立場ではないんだがな・・・なるほど、諸葛瞻について見ると彼は平尚書事・行都護衛将軍となっている。彼は張遵の上司であり、また成都防衛の任に就く将軍であった訳だ。
つまり首都防衛の任についていた諸葛瞻が鄧艾の迎撃に向かうことで、張遵もそれに従った、と言う訳じゃな。それでは能力評価を見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・政治
さて、魏志『鄧艾伝』を見ると綿竹の戦いで、諸葛瞻及び彼の率いる軍は、鄧艾の息子の鄧忠と師纂の軍を一度は撃退することに成功するんじゃ。
尚書であることから政治能力を高めに評価し、尚書でありながら鄧艾の派遣した軍を一度は撃退していることから、祖父張飛の血の影響があったとみて、軍事を高く評価したのだな。
統率・知謀
一度は撃退したものの、もう一度攻められると今度は大敗し、張遵は首を斬られた、とあるんじゃよ。
受けきれなかったことから統率、そして何も実績がないことから、知謀に関しては抑えめの評価と言うことですね。
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簡単解説
三国志14も評価が難しそうですね。
実際鄧忠らを撃破したのも張遵の活躍あってのこと、とは限らんからな。
確かに記述では張遵の活躍とかは書かれていませんね。
そうだな。とは言え、鄧忠撃退で名前の出ている蜀将の誰かを評価する、となった場合、張飛の孫である張遵を評価するのが一番妥当に感じるな。
そうじゃな、やはり何だかんだでどこか似ている部分があると思うから、今回は張遵の軍事を少し高めとしたんじゃよ。さて、それでは張遵についての紹介はこれで終わりじゃな。
それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。