さて、今回は張飛の子の張苞の紹介じゃな。演義では関興と対になって活躍する武将じゃが、これは演義の創作であって、正史ではほとんど記録がないんじゃよ。
どうも、張郃だ。彼はほとんど記録が残っていない人物だな。
演義では大活躍ですが、正史はどの程度の記述だったのでしょうか?
蜀志『張飛伝』には張飛が亡くなった際、長子の張苞は若死にしたので、次男の張紹が後を継いだ、とあるのみじゃ。これから見ると張飛より先に張苞は亡くなっておった、と言うことになるな。
若死にしていたのは何となく理解していましたが、張飛よりも先に亡くなっていたのですね。
まあ、それ故評価が非常に難しい人物じゃがな。それでは張苞について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
さて、張苞については上にあるように、蜀志『張苞伝』にわずかに記述があるのみなんじゃ。彼の実績はまるで見えてこないことから、父親の張飛の能力を参考に評価を行った訳じゃな。
張飛が軍事と知謀が高いことから張苞もどちらもそれなりに、政治の低さも同じように引き継いだということだな。
実際がどうなるか分からないから難しいですよね。張紹や張遵も含めて評価が難しい人物が続きますね。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
簡単解説
まあ関平は曲りなりにも関羽と共に戦場で戦っているからな。そう考えると関平との差も妥当なところではなかろうか。
三国志14や鄭門三国志はいずれも演義ベースの評価のようですね。
そうだな、演義を基準とすると彼ら以外に蜀は目立つ後継武将はいない。ただ正史を基準とすればそこまでせずとも優秀な武将は他にも出てくるからな。
関平は戦場にいたのに対し、張苞はそれすらもないからのう。何の実績もない中ではぎりぎりの評価と言うとこじゃな。さて張苞についてはこれで終わりじゃな。次もよろしく頼みますぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。