さて、今回は趙雲の紹介、2回目じゃな。前回の正史の記述をベースに今回は能力評価を中心に見ていくとしようかのう。
さて、今回は趙雲の紹介じゃな。大人気の彼じゃが、なるべく客観的に見ていきたいと思うんじゃ。
どうも、張郃だ。とは言え、どうしても演義補正とかに引きずられてしまうだろうがな。
完全な客観視って難しいですよね。何だかんだで本人の主観が入ってきますから。
とは言え、判断材料はもちろんある。それは蜀の他の五将軍、関羽、張飛、黄忠との比較だ。
なるほど、彼らと比較した際に高すぎず低すぎず、と言った評価に落ち着く、と言うことですね。
そう言うことじゃな。なので今回はすでに出ている、関羽、張飛、黄忠と並べてみてみようと思うんじゃよ。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価を見ていく前に、関羽達との能力を比較して、それから各項目について見ていくとしようかのう。
軍Max | 統Max | 知Max | 政Max | |
---|---|---|---|---|
関 羽 | 183 | 106 | 134 | 84 |
張 飛 | 189 | 112 | 117 | 40 |
黄 忠 | 178 | 112 | 95 | 62 |
趙 雲 | 183 | 95 | 84 | 90 |
軍事
軍事については言うまでもないじゃろう。長阪での阿斗救出や、益州攻略時の活躍、第一次北伐でも敗北しながらも自ら殿を務め、敵を防いだ等言うことなしじゃ。
軍事に関しては正史を見ても変わらず高い評価となる、と言うことじゃな。
統率・知謀
さて、統率についてが一番悩んだんじゃが、基本彼は関羽のように別動隊を率いて活躍したり、知略の話もほぼ皆無なんじゃ。また黄忠や張飛のように前線の将として大活躍、と言う記録もない。阿斗や婦人救出なども個人的武勇などに頼ってのもので、最後の北伐まで大軍の統率とはほぼ無縁だったんじゃよ。
確かに『趙雲別伝』での漢中攻防時の活躍も大軍を統率してのものではないな、最後の北伐はそれなりに軍を率いていたと思うが、曹真殿に結局は敗北しているか。
趙雲と言うと文武両道でゲームとかでもほぼすべての能力が高いのが当たり前になっているから、これはちょっとショッキングな評価ですね。
政治
さて、政治についても評価としては難しかったんじゃが、ここで『趙雲別伝』の引用じゃな。趙雲は死後順平侯の諡号を追贈されるんじゃが、この意味を『趙雲別伝』は載せているんじゃな。ここで姜維は趙雲のことを次のように評するんじゃ。
「趙雲は昔先帝に随従し、功労は既に顕著であり、天下を駆けずり回って働き、法を遵守し、その功績は記録に値します。」
その上で、順平侯の「平」には「仕事をするのに秩序があること」の意味があると言っているんじゃな。
なるほど、秩序だって行動し、法を遵守する性格だ、と言うことで政治に関しても一定以上の評価をしている、と言うことなのだな。
関羽達と比べた時に、軍事以外では趙雲が突出している部分はありませんが、全体にバランス良く、クセのない評価になっている感じですね。
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簡単解説
三国志14と天舞三国志はどちらも統率が高い評価となっていますが、鄭門三国志はかなり低いですね。師匠に少し近い感じです。
鄭門三国志は関羽や張飛も似たような評価になっていたから、お主の師匠の親衛隊長的な役割、と言う評価基準とはまた違っていそうだがな。
師匠の場合、関羽、張飛、黄忠、趙雲と何となく序列が分かるようにはなっていますが、一応何某らかは他の人より高い能力になってバランスを取っていますね。
そうだな、関羽は知謀、張飛は軍事、黄忠は統率が張飛と同じトップで、張飛に対しては政治力で優っている。
そして趙雲は政治が4人の中では一番高く、バランスが良い、と言う形じゃな。関羽とは少し差があるようになってしまったが、副将次第で遊撃にも前線にも出せる、バランサーのような武将じゃな。と言ったとこで、今日は終わろうかのう。次はあまり触れてこなかった『趙雲別伝』の紹介と真偽のほどをちと見ていこうと思うんじゃよ。
よし、それでは俺も帰るとするか。趙雲は近い地域の出身者同士だからな、今日の話は色々と面白かったぞ。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。