さて、今回は劉虔の紹介じゃな。劉禅の息子で先日紹介した劉瓚の弟に当たる人物なんじゃよ。それにしても劉瓚よりも先に紹介するはずだったんじゃが、何故か紹介し忘れておったんじゃよ。劉虔、申し訳ない。
さて、今回は劉虔の紹介じゃな。劉瓚の弟に当たる人物じゃ。
どうも、張郃だ。彼は名前が出ている中では劉禅の一番下の子になるんだったかな。
劉禅の第7子となっていますから、劉瓚よりもさらに若いと言うことですね。
彼は259年に上党王に立てられているから、もう蜀も滅亡寸前の時だったという訳だな。
逆に言うと成人した劉禅の息子が彼までだった、と言うことなのかもしれんのう。それではさくっと劉虔について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
彼に関しても蜀志『後主伝』に259年に上党王に立てられたことと、『劉璿伝』の裴松之注『蜀世譜』によると生き残った劉禅と息子たちは皆洛陽に移住した、とあるぐらいなんじゃよ。
劉瓚とほぼ同じと言うことで、全体的に抑えめな評価と言うことだな。
劉瓚とは能力のばらけ具合がまた違うようですね。
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簡単解説
劉瓚が出ていないから、必然的に劉虔も他の作品には出ていませんね。
どうも259年には彼の他にも王になっている人物がいるみたいだな。年齢の近い異母兄弟だったのかもしれないな。
先に王に立てられた劉瓚よりは若いでしょうから、240年頃の生まれかもしれませんね。
そうじゃな。それにしてもさすがにあまり語ることはない感じじゃな。今日はおしまいじゃ。次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。