三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

劉虔(りゅうけん) 字:不明(?~?)

さて、今回は劉虔の紹介じゃな。劉禅の息子で先日紹介した劉瓚の弟に当たる人物なんじゃよ。それにしても劉瓚よりも先に紹介するはずだったんじゃが、何故か紹介し忘れておったんじゃよ。劉虔、申し訳ない。

 

さて、今回は劉虔の紹介じゃな。劉瓚の弟に当たる人物じゃ

どうも、張郃だ。彼は名前が出ている中では劉禅の一番下の子になるんだったかな。 

劉禅の第7子となっていますから、劉瓚よりもさらに若いと言うことですね。

彼は259年に上党王に立てられているから、もう蜀も滅亡寸前の時だったという訳だな。 

逆に言うと成人した劉禅の息子が彼までだった、と言うことなのかもしれんのう。それではさくっと劉虔について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 劉虔(20歳)  40 30 50 35
 ↓ ↓ ↓ 
 劉虔(45歳)  68 57 79 62

 

さて、それでは各項目ごとに評価を見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

彼に関しても蜀志『後主伝』に259年に上党王に立てられたことと、『劉璿伝』の裴松之注『蜀世譜』によると生き残った劉禅と息子たちは皆洛陽に移住した、とあるぐらいなんじゃよ。

劉瓚とほぼ同じと言うことで、全体的に抑えめな評価と言うことだな。 

劉瓚とは能力のばらけ具合がまた違うようですね。 

 

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簡単解説

劉瓚が出ていないから、必然的に劉虔も他の作品には出ていませんね。

どうも259年には彼の他にも王になっている人物がいるみたいだな。年齢の近い異母兄弟だったのかもしれないな。  

先に王に立てられた劉瓚よりは若いでしょうから、240年頃の生まれかもしれませんね。

そうじゃな。それにしてもさすがにあまり語ることはない感じじゃな。今日はおしまいじゃ。次もまたよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰るとするか。次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。