さて、今回は劉徳然の紹介じゃな。彼は劉備と共に盧植の下に学びに行った、劉元起の息子に当たる人物じゃな。
さて、今回は劉徳然の紹介じゃな。蜀志『先主伝』の記録を見ると劉元起の息子じゃな。
どうも、張郃だ。盧植の下にて学んだ、と言うのは能力評価につながってきそうだね。
情報としては他には何か記録や実績とかはあるのでしょうか。
いや、確かこれ以上の記録は残っていないはずだ。少ない情報から評価をしないといけない、と言うことだな。
うむ、それでは劉徳然について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価を見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
正史本伝では蜀志『先主伝』に劉備と共に盧植の下に学びに向かっていることが書かれておる。つまり学者とまでは行かずとも知識などを身に着けた人物だったのではないか、と考えた訳じゃな。
知謀と政治の方が軍事と統率よりも高いのは、盧植の下に学びに行った、と言うことが利いている訳だな。
もしこれで学問に打ち込まずに武張っていると、劉備に近い立場として歴史に名を残しそうですもんね。
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簡単解説
それにしても劉備の世代で劉備と行動を共にする親族が一人もいないのは不思議ですね。
それだけ劉備が異端児だった、と言うことなのかもしれないな。劉備の祖父もこの地方では名声があったようだが、劉備はもう一つ突き抜けたようなところがある。
張郃さんは味方としても敵としても、劉備を見ている訳ですものね。考えてみれば長い因縁の相手ですよね。
共に袁紹殿の下にいた時は、まさか漢中で戦うことになるとは思ってもみなかったが、あそこでヤツの勢いを止めることができなかったのは、一番悔しい出来事だったな。
まああの頃の劉備は曹操殿でも倒すことはできんかったからのう。むしろ張郃殿は崩れそうになる魏軍をよく保っていたと思うぞい。さて、横道に逸れてしまったが、劉徳然はどんな暮らしをしたのか、気になるところじゃが、今回はここまでじゃな。
それでは俺も帰るとするか。次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いします。