さて、今回は劉林の紹介じゃな。彼はあの劉封の子供なんじゃよ。どうも親の罪は親の罪として、劉林にまでは咎は行かなかったようなんじゃな。
さて、今回は劉林の紹介じゃな。劉林はあの劉封の息子じゃな。
どうも、張郃だ。劉封の息子と言うことは劉禅達とは直接の血縁関係はないと言うことだな。
劉禅達との関係はどんな雰囲気だったのでしょうね。
こればかりは見てないからわからんが、劉林は牙門将となり264年には劉禅達と一緒に河東へ移った、とあるから関係は悪くはなかったのではないか。
うむ、劉林は劉林の役目をきちんと果たしておったようじゃのう。それでは劉林について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
蜀志『劉封伝』には上に書いている通り、牙門将となった、とあるんじゃよ。軍事と統率が高めなのはこの役職に就いていることからじゃな。
牙門将は趙雲の息子の趙広も就いていたな。彼は軍事が高めだったが、それは前線で戦ったからであろうな。
知謀・政治
軍事や統率と違い、知謀や政治については何も記録が残っていないことから並程度の評価じゃな。
こちらは平均的な評価に収まっている感じですね。
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簡単解説
劉林と言うことはこれで劉備の一族はそろそろ終わりですかね。
表を見る限りではそのようだな。
思ったよりも人数がいましたね。それと趙雲や劉封のように結構優秀な人物がいるんですね。
そうだな、劉璿のような興味深い後継者もいることだしな。
礼儀作法に捕らわれないと言う辺りが劉備にちょっと似てるんじゃよなあ。さて、それでは劉林について終わりじゃな。次は劉備一族のまとめと行こうかのう。
とは言え、ちょっと明日の晩から出かけるので、週末まではお休みじゃな。
よし、それでは少し俺もゆっくりさせてもらうとするか。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。