三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

夏侯玄(かこうげん) 字:太初(208~254)その2

さて、今回は夏侯玄の逸話について見ていくとしようかのう。彼の人物像を立体視するためにも必要じゃと思うんじゃよ。

 

さて、今回は夏侯玄に関するいくつかのエピソードについて見ていくとしようかのう

どうも、張郃だ。彼に関する逸話は色々あることから、長くなりそうだな。 

先日お話しした内容でも結構なボリュームがありますからね。

そうだな、だが夏侯玄の実像を見つめなおすうえでは必要な話となるであろうな。 

そうじゃな、それでは早速夏侯玄の逸話を見ていくとしようかのう。

人物紹介 

九品中正法の欠点

さて、九品中正法とは魏の名臣である陳羣の手によって作られたものであるが、法と言うのはどこかしら抜け道があるものじゃ。それでは九品中正法とはいかなるものか、夏侯玄の言葉を借りて述べていくとしようかのう。

「そもそも、才能のあるものを官吏に採用し、立派な人材を登用することは国家の権限に属します。それ故、人事権を政府が完全に掌握するのは上(政府)の職責として当然であります。」

まず最初に政府がやるべきこととして、人材登用をする権限は国家が持つべき、と言う至極まっとうな意見だな。 

「徳行に優れた人材は村里に存在する故、優劣の判定地方の人々が行うのは下(郡国の中正官)の役目として当然であります。下(中正官)の判断と、上(政府)の審査とを正しく行わせることを望むなら、上下の職分をはっきりさせ、越権行為を行わせないようにしなければなりません。」

この辺りまでは結構シンプルですね。優劣の判断をする中正官と、審判する政府と役割を明確にする、と言うことですよね。 

そうじゃ、そしてその理由についても夏侯玄ははっきり述べておるんじゃよ

「理由として、上が越権を行えば、出発点において基本を外れることになって、権門を求めて奔走する道を開く恐れがありますし、下が越権を行えば、天子の与えたもう官職に、外から道をつけることになって、権力を行使する人が多くなる恐れがあるからです。」

太字部分が特に懸念とする部分、と言うことだな。そしてこの夏侯玄の予見は後に的中することになるのだが、ひとまずは続きを見てみるとしようか。 

「そもそも天子の与えたもう官職に外から道がつけられること、それは庶民が国家の権限に口をはさむことであり、権力を行使する人が多くなること、それは混乱の根源であります。」

この辺りも凄い良くわかりますね。本来与えられた職責を超えて権限を駆使すると、大概はどこかで衝突が生じて、大きな騒乱に繋がってしまいます。 

「州郡の中世官が官吏としての才能を等級付けるようになってから、もう随分になりますが、ごちゃごちゃと混乱し、きちんと制度が整備されたと聞いたことがありません。

これは上下の権限が区別されずに入り乱れ、それぞれ制度の基本となる出発点を見失ったために起こったのではないでしょうか。

~中略~

政府長官の等級付けと中正官の順位付けにそのまま従って用いますと、万一その人物が不適格であった場合に、政府内外が共に責任を負わねばなりません。

そう言う事態を防ぐため、自然に政府内外互いに資料を参照し合い、人物の長所と短所の判定に根拠ができ、双方ともに検証し合うことになりまして、誰が自分を飾ることができましょうか。こうすれば人々の心は安定し、事の筋道は明らかになって、習俗を鎮め、官吏の才能を見分けることができるでしょう。」

中正官の役割を単純に等級の審査決定のみにして、官位の昇降権限は政府長官が握る、と言うシンプルな構造にすると言うことだな。 

さて、この中正官の役割を限定される、と言う意見は採用されず、逆に司馬懿によって中正官の権限が拡大される事態に至るんじゃ。

そしてまさに夏侯玄が「権門を求めて奔走する道を開く恐れがあります。」と言った通り、上品は名門貴族の子弟ばかりが占める、と言う貴族社会が晋の時代に開かれることとなるんじゃよ。

自身は皇族に連なる者としての誇り高さを持ちつつ、誰よりも下のことを考えておったかもしれん夏侯玄、まだ語りたいことがあるんじゃが、今日のとこはここまでとしようかのう。 

 

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