三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

夏侯尚(かこうしょう) 字:伯仁(?~226)その1

さて、今回は夏侯尚の紹介じゃな。魏志『夏侯尚伝』にて立伝されており、有力親族の一人だったんじゃよ。あの夏侯玄の父親に当たる人物じゃよ。

 

さて、今回は夏侯尚の紹介じゃな。曹操たちの息子の世代で有力親族の一人だったんじゃよ。

確かに、曹真殿や曹休殿と並んで、時代の曹家・夏侯家を支える人物となるはずだった。それだけに若くして亡くなったのは残念だ。 

226年と言うことは、まだ40代ぐらいでしょうか。

生年ははっきりしないが、文帝(曹丕)が187年生まれで、彼と友人づきあいしていたこと、また冀州平定に従っていることを考えると180年前半頃の生まれであろうな。 

そうじゃな、まず今回は彼の本伝の内容を元に評価を行い、次回以降で他のエピソードを載せていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 夏侯尚(20歳)  105 95 80 85
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓
 夏侯尚(45歳)  139 128 112 117

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率

魏志『夏侯尚伝』を見ると、冀州平定の際には軍司馬となり、騎兵を率いて征伐のお供をしておったんじゃ。曹操が亡くなると夏侯尚は節を手に曹操の棺を奉じて鄴へ帰還したんじゃよ。文帝の時代には征南将軍に栄転し、更に荊州刺史・仮節都督南方諸軍事となったんじゃよ。

この時夏侯尚は諸軍を率いて、上庸を攻撃し、三郡九県を平定した、とあるんじゃ。この時破ったのが劉封であろうな。

また江陵を攻略した際は、諸葛瑾が陣取る中州を攻撃し、これを大いに破ると言う戦功を挙げているんじゃよ。

この時は自分も共に戦ったが、落ち着いた指揮は大したものであった。

武勇に優れていた劉封も破っていることから、軍事と統率共に高い水準に達している、と判断しての評価なのだな。 

知謀・政治

魏志『夏侯尚伝』の裴松之注『魏書』によると、夏侯尚は計略・知謀に優れていた、と書かれているんじゃよ。

さらに上庸攻撃の際に、本伝を見ると

劉備の別動隊が上庸におりますが、山道は険しく、向こうは我が方を警戒しておりません。もしも奇襲部隊を密かに発し、敵の不意を突いたならば、一方的勝利を得られる情勢にあります。」

と的確な進言をしているんじゃ。

また、諸葛瑾を攻撃する際は、夜中多数の油船を持ち運びつつ、歩兵・騎兵一万余を率いて、こっそりと下流から長江を渡り、敵の船に火をかけ、水陸両軍一斉に攻め立て、これを撃破した、とあるんじゃ。

また、当時荊州は荒廃しており、住民の多くは江南に移住してしまっていたんじゃよ。

じゃが夏侯尚が上庸から道路を通し、西方へ向かって七百里以上も軍を進めた結果、産学の住民や蛮族から服従する者が多くあらわれ、五、六年の内に数千家も帰順した、とあるんじゃよ。

息子の夏侯玄の方がすごいかも、と書かれてたように思いますが、どうして夏侯尚すごくないですか、バランスの良さなら夏侯玄より上じゃないですか。 

そうだな、これであんなことさえなければ・・・と、それはまた別に語るであろうか。 

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 夏侯尚  79 71 75 65 61

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 夏侯尚  4 9 9 4 2 9

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 夏侯尚  15 13 10 11 12

 

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簡単解説

どの作品もバランス型の能力となっていますね。

基本的にどの分野でも実績があるから、まずは妥当と言ったところであろうな。  

第一世代と比べてもバランスの良さでは突出していますね。

それだけに226年で亡くなったのは痛かった。それにあの最後は後味が悪い。

そうじゃな。それでは次は本伝以外に載っている夏侯尚のエピソードについて見ていくとしようかのう。

よし、それでは俺も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。