さて、今回は夏侯績の紹介じゃな。魏志『夏侯淵伝』に記録が残っており、夏侯淵の長男夏侯衡の息子で、彼が逝去した際に後を継いだんじゃよ。
さて、今回は夏侯績の紹介じゃな。夏侯淵の長男、夏侯衡の息子に当たる人物じゃ。
どうも、張郃だ。彼は確か夏侯衡の跡を継いで、虎賁中郎将になったんだったかな。
近衛の兵を司っていたと言うことですか、なかなかのエリートだったんですね。
とは言え、それ以外の記録は残っていないことから、評価はなかなかに難しそうだな。
そうじゃな、彼については官職から、ある程度推測する形で見ていくこととしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『夏侯淵伝』を見ると、夏侯淵が亡くなると夏侯衡は爵位を継ぎ、安寧亭侯に国替えされたんじゃよ。そして夏侯衡が逝去すると、子の夏侯績が後を継ぎ、虎賁中郎将になった、とあるんじゃ。夏侯績の記録はこれぐらいじゃな。
安直と言えば安直であるが、皇帝の親衛隊を率いていた、と言うことから軍事が高めなのだな。
虎賁中郎将って確か曹魏で重要なポジションだったですよね、もっと高くはないのですか。
とは言え、この時代になると皇帝自らが親征したり、虎賁中郎将が最前線で戦うことも少なくなっているからな。陳倉の時に一部、護衛のために自分に就いたこともあるが、ああ言うのが例外的にあったぐらいだな。
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簡単解説
さすがに他の作品では名前は出てきていないですね。
まあ、父親の夏侯衡が夏侯淵殿の息子の中でもあまり知名度がないからな。
それにしても曹操陣営の後継者候補多いですね。まだ曹姓にも到達していませんよ。
まあ、夏侯一族は曹一族全体の中でも氷山の一角に過ぎないからな。まだまだ続くぞ。
そうじゃな。曹一族全体で100人以上はおるんじゃなかろうか。氷山の一角とまでいかないにしても、まだ先が長いのは確かじゃな。さて、そんなところで今日はこの辺りで終わりじゃな。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。