さて、今回は曹協の紹介じゃな。彼も知らない方が多いのではなかろうか。それでは早速、彼について見ていくとしよう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は当然忘れている)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹協の紹介じゃな。彼は曹丕の息子であるようじゃな。
どうも張郃だ。私よりも先に亡くなっているからな。一応子供はいたから成人に達する前後ぐらいで亡くなっているのではなかろうか。
さすがに演義には出てこない人物であるから、知名度は高くないですよね。
そうじゃな、史書を見ても多くは語られておらんようじゃから致し方あるまい。それでは曹協について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
曹協についての記録を見ると、魏志『賛哀王協伝』には次のように記述があるんじゃ。
賛の哀王曹協は早死にした。
太和五年(231年)領国と諡号を追贈され、経の殤公と言った。
青龍二年(234年)、さらに諡号を改められた。三年(235年)、子の殤王曹尋が後を継いだ。
これだけじゃなんじゃよ。正直評価のしようがないんじゃな。
それでも評価するしかないのだからな。父の曹丕殿に従い、政治を高めの評価とした、と言うことか。
父の傾向を受け、スモールサイズにした、と言う感じですね。
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簡単解説
他の作品にはもちろん出てきていないですね。
まあどこも評価のしようがないだろうからな
それにしても見ていくと、やはり若くして亡くなる人が多いですねえ。
そうじゃな。もう少し長く生きておれば、何らかの記録に残ることを成し遂げたかもしれんが、こればかりは分からんからのう。
さて、今回はここまでとしようかのう。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。