さて、今回は曹矩の紹介じゃな。彼もまた曹操の息子の一人じゃな。そして彼はある人物との縁があったりするんじゃよ若くして亡くなったようじゃが、永く生きていた場合どうなったんじゃろうなあ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は当然忘れている)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹矩の紹介じゃな。彼も曹操の息子の一人じゃな。
どうも張郃だ。彼のことは知らんであろうが、彼と縁のある人物はある程度知れているだろうな。
そこまで有名と言うことは曹丕や曹植あたりと縁があったりするんでしょうか。
残念じゃがそこまでメジャーどころではないんじゃな。まあその辺りは順にみていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
曹矩について、魏志『范陽閔王矩伝』には次のように記述があるんじゃ。
范陽の閔王曹矩は早死にし、後継ぎはいなかった。建安二十二年(217年)樊の安公曹均の子の曹敏に曹矩の後を継がせ、臨晋公に取り立てた。
曹矩自身の記録はこれで終わりなんじゃよ。
上で微妙に知謀が高くなっていますが、これだけの記録では理由が分かりませんよ。
ふむ、それで縁がある人物がキーになるんじゃよ。それは何晏なんじゃな。曹矩の母親である尹夫人は曹操に嫁ぐ前に何晏を生んでいる、異父兄弟なんじゃよ。
・・・へー、そうなんですかあ・・・と言っても演義で曹爽に迎合して、最後は司馬懿のクーデターでやられちゃうだけの人物ですよね。そこまで凄いのですか?
演義の無能な何晏と、正史の何晏は違うぞ。確かに癖のある人物ではあったが、老荘思想を好んで『道徳論』を作り、また数十篇にのぼる文や詩を残すなど、文学の世界に大きな足跡を残した人物だ。
随分演義とはイメージが違うのですね。ごめんなさい。異父兄弟ですが、それだけ才気煥発な人物が兄にいることから曹矩の知謀も少し高めの評価としたのですね。
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簡単解説
知謀の高さに比べて軍事側の能力が低めですが、これは若くに亡くなったことと関係あるのでしょうか。
恐らくだが、兄の何晏は病弱であった。その虚弱さを弟の曹矩も受け継いだ、と考えているのではなかろうか。病弱故に若くして亡くなったのかもしれないしな。
大体張郃殿の言う通りじゃな。後継ぎはいなかったようじゃが、王号を得ていることから成人には達していたと思われるんじゃよ。彼がもし何晏の処刑時まで生きておったらどうなっていたのか、ちと気にはなるのう。さて、今回はここまでじゃな。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。