さて、今回は孫皎の紹介2回目じゃな。今回は前回で紹介できんかった孫皎に関する逸話について軽く見ていくとしようかのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫皎の2回目じゃな。今回は前回書かなかった逸話について見ていこうと思うんじゃよ。
この辺りのマイナーですが、結構優秀だった人物についてはどのような話があるのか、ちょっとワクワクしますね。
孫皎についてはなかなか破天荒な話もあるようだがな。
うむ、それでは孫皎の逸話について、早速見ていくこととしよう。
人物紹介
紳士な孫紘
さて、まずは彼が立派な人格者であることを表す逸話じゃな。
孫皎がある時偵察の兵士を出すと、その兵士は魏の辺境守備の武将や軍吏の下にいた美女を捕まえて孫皎の下に差しだしてきた。
孫皎は彼女の衣服を新しいものに取り替えて送りかえしてやると、命令を出して言った。
「今誅伐を加えようとしているのは曹氏である。民衆たちに何の罪があろう。これより後、老人や幼い者に危害を加えることがあってはならない。」
こうしたことから長江から淮水にかけての一帯では、彼の下に身を寄せてくる者が多かった。(『孫静伝』)
多少のポーズとかもあるのでしょうけど、紳士的な振る舞いをされる方なのですね。
これにより長江流域での孫皎の評判は高くなり、彼の下に身を寄せる人が増えたのだ、言うことなしであろう。
さて、次はそんな孫皎のやらかしてしまった話だな。
甘寧とのケンカ
今度は彼のちょっとやらかしてしまった方の逸話じゃな。
ある時小さなことから、甘寧と大喧嘩をしたことがあった。甘寧を諫める者があったが、甘寧は言った。
「臣下も公子も同列であるはずだ。征虜将軍(孫皎)は公子であるとは言え、どうして彼ばかりが他人を侮辱して良いものだろう。私は明主と出会うことができた以上、ひたすら力を尽くし生命をも投げ出して、天ともたのむご主君に御恩報じをすべきであって、世間のならわしに従って身を屈することなど絶対にできない。」
この時甘寧は孫皎の下を離れ、呂蒙の指揮下に入りたいと願い出ていたほどだ。(『孫静伝』)
はえー、先ほどの逸話とは違う、ある意味人間臭いエピソードですね。
孫皎は多少酒が入ると、他の人物を侮辱してしまう面があったのかもしれないな。
孫権がこの件を聞き及びきつく注意したことから、孫皎は陳謝し、その後甘寧とは厚い交わりを結んだ、とある。
素直に謝れることから、本人にも別に悪意があった訳ではなかったのであろうな。
呂蒙との二択
最後に関羽討伐時の逸話じゃな。
後に呂蒙が南郡を襲撃することになった時、孫権は孫皎に命令を出し呂蒙と共にそれぞれ左軍と右軍との総指揮官に当たらせようとした。それに対し呂蒙は孫権に説いていった。
「もし陛下が征虜将軍(孫皎)さまの方が優れると考えられるのであれば、征虜様を全軍の総指揮官に任用されるべきであり、もし蒙の方が優れるとお考えであれば蒙をその任に当たらせられるべきであります。
以前、周瑜と程普とが左軍と右軍の指揮官となり、共同して江陵を攻めたことがございました。
最終的な決定は周瑜がなしたのでありますが、程普には古くからの部将であるという自負があり、それに二人とも指揮官だと言うことで、二人の間がうまくゆかなくなって、国家の大事を損なうことになりかけたのあります。これがまだ遠からぬ戒めでございます。」
「あなたを総指揮官に任じ、孫皎には後詰めを命じよう。」
関羽をとりこにし、荊州を平定するのに孫皎の働きが大きかった。(『孫静伝』)
周瑜と程普に対して、呂蒙と孫皎と言った立ち位置として、孫権は考えていたのですね。
実際の程普と比較すると、軍事が程普の方が高いですが、確かにちょっと似た能力になっていますね。
その辺りはまあ偶然じゃが、司令官を任せられるぐらいの器として、今回の孫皎は評価したつもりじゃ。
そんなところで孫皎の紹介は終わりじゃな。次から新しい人物、また良ければご覧くだされ。
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