さて、今回紹介する人物は孫慮じゃな。過去紹介している孫憲も別名が孫慮であったが、今回紹介する孫慮は孫権の息子の孫慮じゃな。彼は聡明で孫権の期待もかなり高かったんじゃが、上で分かる通り20歳の若さで亡くなってしまったんじゃよ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫慮の紹介じゃな。彼は孫権の息子の一人で、相当期待されていた人物だったんじゃよ。
確か孫登の弟でしたよね。孫慮が亡くなった時、孫登が孫権を元気づけていたんでしたよね。
それだけ孫権がひどい状況であった、と言うことだな。
うむ、それでは孫慮について順々に見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
孫慮の記録はあちこちに分散しているようじゃな。今回は孫権がどれだけ彼の死を落胆していたか、見ていくとしよう。
(孫慮は)幼いころから聡明で器用であって、孫権はその才能を高く買って可愛がった。(『孫慮伝』)
弟の孫慮が死去すると、孫権はその死を悼んで食事も十分には取らなかった。孫登は昼夜兼行で孫権のもとに駆け付け、来郷まで来たところで目通りを申し入れると、すぐさま召し入れられた。
孫登は、孫権の様子を見て悲しみに涙を流すと共に、諫めていった。
「孫慮は病の床についたまま二度と起き上がることがございませんでしたが、これも運命であったのでございます。ただいま北方の領土は未だ統一されておらず、天下の者たちは皆等しく顔を振り仰いで陛下を天と頼み戴いております。
しかるに陛下は世間一般の人々と同様の感情にお負けになり、太官(宮廷の料理番)が用意いたします御膳も減らされて、礼の節度を越えて悲しみに沈んでおられます。臣は心中、心配と畏れとを禁じえません。」
孫権は、この言葉を納れて、食事の量を増やした。(『孫登伝』)
孫権めちゃめちゃ孫慮の死で動揺していますね。それだけ期待していたんでしょうね。
逆に孫登がしっかりしているのが、この逸話からも伺えるな。
孫登と孫慮、二人の優秀な息子を失った孫権が、晩年おかしくなっていったのも仕方ないのかもしれませんね。
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簡単解説
それにしても師匠の評価は高いですね。三国志14は軍事面はそこまででもありませんね。
評判としては軍事にも優れた文武両道の人物、とのことだが、その辺りをどこまで受けるかにも依るだろうな。
そう言うことじゃな。さて、次は孫慮の実際の評判部分等について見ていくとしよう。なので、もうちっと孫慮の紹介は続くぞい。
とは言え、今日はここまでだな。それでは自分も帰るとしよう。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。