三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫越(そんえつ) 字:不明(?~?)

さて、今回は孫越の紹介じゃな。彼は孫異や孫奕の兄であり、彼もまた孫韶の息子の一人なんじゃな。彼については記述がわずかながら、事績もみられるようじゃな。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫越の紹介じゃな。彼もまた孫韶の息子で、孫異や孫奕は孫越の弟じゃな。

結構孫韶の息子って多いんですね。いきなりもう3人出てきましたよ。

確かに立て続けに3人出てきたのは珍しいな。 

さて、孫越については孫奕よりは少し記述が多いようじゃ。とは言えそこまで多い訳ではないから、さっくりと見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫越(20歳)  95 70 65 45
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 孫越(45歳)  128 101 95 73

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

さて、それでは孫越についての記録を見るとしようかのう。

赤烏四年(241年)に、孫韶は死去した。息子の孫越がその後を嗣ぎ、右将軍にまで昇った。(『孫韶伝』)

永安七年(264年)夏四月、魏の武将で新附督(呉から魏に寝返った者たちで作った部隊の隊長)の王稚が海から句章に侵入して、その地の長官を捕虜にし、財貨及び男女二百余人を略奪した。将軍の孫越がこれを迎え撃って舟一隻を拿捕し、三十人を捕虜。(『孫休伝』)

なるほど、呉の将として右将軍にまで登り、しかも魏の武将を撃ち破ると言う功績まで上げている訳ですね。 

宗室の一員として軍事部門での重鎮であった、と言うことだな。これでもう少し実績があれば更なる高評価を得ることができていたであろうな。 

 

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簡単解説

孫奕もそうですが、孫越も他の作品には出てこないですね?

孫一族も数が多いからな。相当有名でなければ、なかなか採用はされないのだろう。  

ただ昨日の孫奕に比べれば、実績がある分、評価しやすいのは確かじゃ。

さて、そんなところで今日はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。

よし、それでは自分も帰るか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。