三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫楷(そんかい) 字:不明(?~304)

さて、今回紹介するのは孫楷の紹介じゃな。彼もまた孫韶の息子の一人で、実は彼こそが孫韶の一族に暗い影を落とした人物だったんじゃよ。さて、それでは孫楷について見ていくとしようかのう。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫楷の紹介じゃな。彼も孫韶の息子の一人で、後期呉に影響を及ぼした一人だったんじゃよ。

具体的に彼は何をやったのですか?

宗室として本来あってはならないことだが、呉から魏へ寝返ったのだ。

まあこの寝返りは色々と、彼のせいにできないことも多かったと思うのだがな。さて、それでは孫楷について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫楷(20歳)  80 95 60 65
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 孫楷(45歳)  112 128 90 95

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

孫楷は孫韶一族の中でも、記述量が多めの人物じゃな。

(258年)孫亮が廃せられると、(太平三年の九月)己未(きび、27日)の日、孫綝は宗正の孫楷と中書郎の董朝とを使者に立てて孫休を帝位につけるべく迎えにやった。

孫休は、こうした知らせを聞いても、当初は何かたくらみがあるのではないかと疑っていたが、孫楷と董朝とが、孫綝らが孫休を迎えようとする気持ちに噓偽りのないことを詳しく述べたので、一日と二晩逡巡した後、都へと出発した。(『孫休伝』)

ここで孫楷も宗正となっているのですね。やはり一族の有力者が就くようになっているのですね。 

孫休を説得している辺り、知謀や政治も水準以上を満たしていると言う評価だな。その後の問題の部分も見ていこう。 

孫越の兄の孫楷は武衛大将軍・臨成侯となり、孫越に代わって京下(京城)の督に任じられた。

~中略~

(呉郡)の永安で反乱を起こした施但らが孫晧の弟の孫謙を脅して(自分達の頭領におしたて)建業を襲撃した時、孫楷は二股をかけてすぐには討伐に出ませんでしたと告発する者があって、孫晧は幾度も人を京下まで遣って孫楷を難詰させていた。

孫楷はこのことでいつもびくびくしていたのであるが、急に都に召し還されることになると(処罰されるのだと考え)、妻子と子飼いの兵士ら数百人を引き連れて晋に奔って身を寄せた。晋では彼を車騎将軍に任じ、丹楊侯に封じた。(『孫韶伝』)

なるほど、孫晧の疑いがあって、処刑される恐れがあったことから、晋に逃亡したのですね。 

孫晧の暴虐ぶりが実際史書に書いてある通りとすれば、建業に戻るのは非常に危険だからな。これは致し方ない、と言わざるを得ないだろう。

さて、それでは晋での評判はどうだったか、そこを少し見ていくとしよう。 

呉が平定されると、(孫楷は)位を落とされて渡遼将軍となり、永安元年(304年)に死去した。(『孫韶伝』裴注『晋諸侯賛』)

孫楷は、厳格に身を処したと言う点では(同じく晋に亡命した)孫秀に及ばなかったが、世間的な名声は孫秀よりも高かったのである。(『孫韶伝』裴注『呉録』)

呉が平定されると位が落とされたのはちょっと残念ですね。 

孫晧が下ってきたのだから、もうこれ以上孫楷を優遇する必要性はなくなったからな、これは仕方あるまい。

孫秀と言う人物も気になるところだな。

 

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簡単解説

孫楷は役職と言い、実績・名声いずれも結構高かったのですね。

もう少し実績が欲しかったところだな。それがないために能力評価ももう一つ伸び切らなかった、と言ったところか。  

そうじゃな、晋への逃亡したこと以外に、もう少し細かい実績があれば、と思わされる人物であったな。

さて、今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは自分も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。