三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

夏侯駿(かこうしゅん) 字:長容(?~299)

さて、今回は夏侯駿の紹介じゃな。夏侯淵の息子、夏侯威の息子に当たる人物なんじゃ。三国志にはあまり記録は残っておらんのじゃがどんな人物か気になるのう。

夏侯充(かこうじゅう) 字:不明(?~?)

さて、今回は夏侯充の紹介じゃな。夏侯惇の息子であり、彼の跡を継いだ人物だったようなんじゃ。

夏侯儒(かこうじゅ) 字:俊林(?~?)

さて、今回は夏侯儒の紹介じゃな。彼は夏侯尚の弟らしいんじゃが、彼の記録は魏志『夏侯尚伝』には」あまり記述がない人物なんじゃよ。

夏侯子臧(かこうしそう) 字:子臧(?~?)

さて、今回夏侯惇の子である夏侯子臧について見ていくとしようかのう。彼も正史本伝には名前が見えてこない人物なんじゃが、子江とセットで生が出てくる人物なんじゃよ。

夏侯子江(かこうしこう) 字:子江(?~?)

さて、今回夏侯惇の子である夏侯子江について見ていくとしようかのう。彼は正史本伝には名前が見えてこない人物で、名もはっきりしない人物なんじゃよ。

夏侯佐(かこうさ) 字:不明(?~266)

さて、今回夏侯惇の孫である夏侯佐について見ていくとしようかのう。彼は正史本伝には名前が見えてこない人物なんじゃよ。

夏侯衡(かこうこう) 字:伯権?(?~?)

さて、今回は夏侯衡の紹介じゃな。魏志『夏侯淵伝』によると夏侯淵の長男であり、曹操の姪を妻とし、恩寵が特に厚かった人物、じゃが実体の見えてこん人物じゃな。

夏侯玄(かこうげん) 字:太初(208~254)その1

さて、今回は夏侯玄の紹介じゃな。魏志『夏侯尚伝』に付伝されており、夏侯尚の息子に当たる人物じゃが、裴松之は父以上の高い評価をしておった程なんじゃよ。

夏侯恵(かこうけい) 字:稚権(?~?)

さて、今回夏侯淵の六男、夏侯恵の紹介じゃな。彼も三十七歳と、比較的若くして亡くなった人物なんじゃが、没年ははっきりとしないんじゃよ。

夏侯栄(かこうえい) 字:幼権(207~219)

さて、今回夏侯淵の五男、夏侯栄の紹介じゃな。彼は見ればわかるようにわずか13歳で亡くなってしまったのじゃが、記録から見ると若くして亡くなったのが非常に惜しまれる人物なんじゃよ。

閻圃(えんほ) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは閻圃じゃな。字や生没年は不明じゃ。彼は既に何度か名前が出てきておると思うが、張魯陣営の重要な懐刀だった人物と言えるじゃろうな。

張衛(ちょうえい) 字:不明(?~?)

さて、今回は張衛の紹介じゃな。字や生没年は不明じゃ。姓を見ると分かるように張魯の一族じゃな。彼はどう言ったことをやった人物なのか、見ていくとしようかのう。

張魯(ちょうろ) 字:公祺(?~216)その3

さて、今回は張魯の紹介3回目じゃな。今回は曹操の漢中侵攻時のエピソードと、できれば能力評価まで行きたいのう。

張魯(ちょうろ) 字:公祺(?~216)その2

さて、今回紹介するのは張魯の2回目じゃな。今回は漢中にてどのような統治をおこなっていたのかを中心に紹介していくぞい。

張魯(ちょうろ) 字:公祺(?~216)その1

さて、今回紹介するのは張魯じゃな。字は公祺、生年は不明じゃが没年は216年じゃな。知る人ぞ知る漢中に割拠しておった五斗米道の教祖、道教のある宗派の祖とも言われておる大物の一人じゃな。

李通(りつう) 字:文達(168~209)その2

さて、今回は李通の2回目じゃな。今回は武勇伝以外のエピソードと、能力評価について見ていくとしようかのう。

劉先(りゅうせん) 字:始宗(?~?)

さて、今回紹介するのは劉先じゃな。字は始宗、生没年は不明じゃ。彼は特定の文献に彼の記述が詳しく載っているようなんじゃよ。ただ、信憑性については如何なんじゃろうか、気になるとこじゃのう。

文聘(ぶんぺい) 字:仲業(?~?)その2

さて、今回は文聘の2回目じゃな。今回は前回語った以外のエピソードと、能力評価について見ていくとしようかのう。

文聘(ぶんぺい) 字:仲業(?~?)その1

さて、今回紹介する人物は文聘じゃな。字は仲業と言うことは次男じゃった、と言うことじゃろうか。生没年は不明じゃな。彼は演義にも出てくる武将の一人じゃが、その活躍の様はあまり語られておらんように思うのう。

鄧羲(とうぎ) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介する人物は鄧羲じゃな。鄧義とも書くようじゃ。字と生没年は不明じゃな。彼は劉表とは折り合いが悪く、名がほとんど残らんかったようじゃな。

杜夔(とき) 字:公良(?~?)その2

さて、今回は杜夔の紹介2回目じゃな。今回は杜夔の後半生、そして能力評価等をみていくとしようかのう。

杜夔(とき) 字:公良(?~?)その1

さて、今回紹介する人物は杜夔じゃな。字は公良、生没年は不明じゃな。彼は知名度としては無名の部類に属する人物なんじゃが、実は後漢においてかなり重要なことを成し遂げた人物だったんじゃよ。

張允(ちょういん) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介する人物は張允じゃな。字と生没年は不明じゃな。彼も蔡瑁と同様、演義で一定の出番があることから、知名度はそこそこある人物と言えるんじゃろうか。そんな張允について見ていくとしようかのう。

宋忠(そうちゅう) 字:仲子(?~?)

今回紹介するのは宋忠じゃな。別名で宋衷とも言うんじゃよ。字は仲子、生没年は不明じゃな。当初劉表に仕えておったんじゃが、後に魏に移ったようじゃな。

向朗(しょうろう) 字:巨達(?~247)

さて、今回紹介するのは向朗じゃな。向朗と書いて「しょうろう」と読むんじゃよ。字は巨達、生年は不明、没年は247年じゃな。蜀を代表する学者であるが、その才はどちらかと言えば実務の方で発揮されたようじゃな。

蔡瑁(さいぼう) 字:徳珪(?~?)

さて、今回紹介するのは蔡瑁じゃな。字は不明なんじゃがWikiを見ると『襄陽記』に、徳珪となっているようなので採用させてもらったぞい。生没年は不明じゃな。荊州の有力豪族として、勢力を伸ばした人物じゃよ。

黄忠(こうちゅう) 字:漢升(?~220)

さて、今回紹介するのは黄忠じゃな。字は漢升、生年は不明じゃが没年は220年。初期は劉表、後に曹操に仕えるが、最終的に劉備に従い、益州・漢中攻略で大活躍した人物じゃな。

綦毋闓(きぶがい) 字:不明(?~?)

さて、今回は紹介する人物は綦毋闓じゃな。彼はマイナーではあるが劉表の荊州統治時代に重要な役割を担っておったんじゃよ。とは言え、字や生没年は不明なんじゃ。彼は一体どんな人物だったんじゃろうな。

韓嵩(かんすう) 字:徳高(?~?)

さて、今回は紹介する人物は韓嵩じゃな。彼もまた劉表陣営における優秀な人材として名を揚げておる人物と言えよう。字は徳高、生没年は不明じゃな。

蒯良(かいりょう) 字:子柔(?~?)

さて、今回は紹介する人物は蒯良じゃな。彼もまた蒯越同様に劉表の知恵袋として活躍し、おそらく楚漢戦争時代の蒯通の末裔と考えられるんじゃよ。後々彼も曹操に仕えることになると思うんじゃが、ここははっきりせんのじゃよ。