三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

張臶(ちょうせん)字:子明(136~240)【三国志上最長寿の人物、魏晋の未来を読み解く】

さて、今回紹介するのは張臶じゃな。彼は生没年のわかっている人物の中で、三国志に登場する人物の中では、恐らく最長寿の人物なんじゃよ。それだけでなく、彼は今後の世界についての示唆などもしているんじゃよ。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回紹介するのは張臶じゃな。彼は105歳まで生きていたことが分かる、恐らく三国志の歴史で最長寿の人物なんじゃな。

魏晋の未来を読み解く、とタイトルで書かれていますが、どう言うことでしょうか。

色々王朝が切り替わる時に瑞兆が起こるであろう。それに関する意見などを張臶殿は行っているのだ。

そう言うことなんじゃよ。それではこの張臶について、見ていくこととしようかのう。

能力評価

各能力の定義

まずは能力を見ていくにあたって、各項目の基準等についてのまとめじゃな。

評価項目 評価基準・反映内容

軍事

①評価基準:
 ・個人の武勇
 ・少数で大軍撃破
 ・武名

②反映内容:
 ・戦場での軍団攻撃力
 ・軍団の士気の最大値

統率

①評価基準:
 ・大軍統率
 ・防衛戦
での実績
 ・人徳

②反映内容:
 ・戦場での軍団防衛力
 ・軍団の士気の維持力

知謀

①評価基準:
 ・奇襲や計略の成功例
 ・応変の才略
 ・鬼謀

②反映内容:
 ・奇襲や工作等の成功率 
 ・効果の高さ

政治

①評価基準:
 ・太守や刺史
 ・中央の法整備
 ・人材登用の実績等

②反映内容:
 ・都市の発展速度
 ・治安維持
 ・反乱抑制

能力値の上限と基準

評価はMAX200で行っているんじゃよ。
100をひとつの基準とし、**三桁に入れば「有能」**と見なす感じじゃな。

  • 010〜049:不得手(適性が低い)

  • 050〜099:標準(状況維持が可能)

  • 100〜119:有能(状況の改善期待)

  • 120〜139:優秀(該当分野で実績)

  • 140〜159:一流(立伝級の人物)

  • 160〜179:傑出(三国志上で突出)

  • 180〜200:伝説級(歴史上の英雄)

三国志は個性の強い人物が多い時代のため、ここでは上限を200にし、100以上を有能とすることで「上位層の幅」を広げ、人物ごとの個性を細かく表現しているんじゃよ。 

 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 張臶(20歳)  40 70 110 45
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 張臶(45歳)  68 101 145 73

参謀特化型

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

張臶の記録は『管寧伝』のところに出てくるんじゃよ

張臶は若年で大学に学び、学問は讖緯の学と経典の学を兼ね備えた。その後郷里に帰った。袁紹が何度か召命を下したが応ぜず、上党に移住した。(『管寧伝』)

基本張臶殿は、誰であろうと召命を受けていないのだ。袁紹殿、高幹殿に加え、曹操殿やその他の郡守等の推挙にも応じなかったのだ。

ただ、それだけであれだけ統率と知謀が高くなることはないですよね?

そうだそれぞれの根拠となる話を載せていくこととしよう。

(常山に移り隠れたが)門弟がなんと数百人も任県に移り住んだ。(『管寧伝』)

青龍四年(236年)辛亥の日、詔勅が下った。

「張掖郡にて玄川が氾濫し、激流猛り狂い、(その結果)宝の石が瑞兆を担って出現し、形状は霊亀に似、河の西に落ち着いた(「明帝紀青龍三年の項の注を参照」)。

~中略~

太史令の高堂隆は上奏して『古王聖帝も今まで受けたことのないもので、まことに魏国の嘉運のしるしであり、東序に代々保存されるべき宝でございます。』と述べている。」(『管寧伝』)

宝の石が見つかって、これは魏に取ってめでたいしるしだ、と高堂隆入っているのですね。

だが、高堂隆殿の言うことは本当なのか

え、どういうことですか。晋ってまさか・・・。

それでは張臶殿の続き、見ていこう。

張臶は内密に(任県の令の)于綽に向って語った。

「そもそも神事は未来を予告するものであって、過去にさかのぼりはしません。瑞兆が先に出現して後から興廃がそれについて起こるものです。

漢はとっくの昔に滅亡し、魏は既に目的を遂げております。

何の理由で過去の興起の瑞兆を示すことがありましょうか。この石は現在に対する変異であって、将来に対する瑞祥です。」(『管寧伝』)

んんん、あれ、これってどこかで見たことがありますね。

お、思い出したか、そう、これは于綽殿のところで紹介したものと同じ内容だ

やっぱりそうですよね。なるほど、この時に出てきた方だったのですね。

張臶殿に関しては自らの死も見通していた。そして彼が亡くなった後、王粛殿が広平太守に着任した年、張臶殿に敬意を表し、残された家族に栄誉と配慮を与えた、とある

 

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簡単解説

先を見通す凄さを買って知謀を高くした、と言うことですね。

管輅殿はほぼ最高クラスの知謀であったからなそこには及ばずとも、ちょっとした軍の補佐として十分にこなせるであろうな。

知謀ランキングに変化はないモノの、ここ最近ではけっこうな大物じゃからのう。
さて、張臶についてはここまでじゃな。

よし、自分も帰ることとしよう。次もまたよろしくな。  

張郃さんお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。