三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

華周(かしゅう) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは華周と言う人物じゃな。彼は華歆の末子に当たる人物じゃな。彼もまた有能な人物であったようじゃな。それでは華周について見ていくとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は華周の紹介じゃな。彼は華歆の息子の一人で恐らく末の息子と思われるんじゃ。

華歆の息子と言うことですから、昨日の華嶠の親世代と言うことですね。

ただ彼は比較的早くに亡くなっている。その一方で西晋の官僚としても働いている、と言うことから、華歆殿の晩年の子ではないかな 

華歆が231年に逝去しているが、その数年前の生まれとしても265年頃には40歳近いからのう。もしかしたら孫世代とも年が近かったのでは、と思うのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 華周(20歳)  45 30 95 80
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 華周(45歳)  73 57 128 112

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

華周に関して、その記述は『華歆伝』に載っているものとなるようじゃな。

年若の子の華周は、黄門侍郎・常山の太守となった。博学で文学的閃きがあった。中年に病気にかかり、家(退職して)で亡くなった。(『華歆伝』裴注『譜叙』)

これも華嶠の書いた『譜叙』に載っている。『譜叙』は恐らく家伝のようなものであろうな。実際に若くして太守になっていることから、優秀だったのは確かであろうな。 

僅かな記述ですが、実績もあり才能も示されているのは見事なムーヴですね。 

 

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簡単解説

華周もわざわざ文学的閃きがある、と書かれているからか知謀が高めですね。

頭の回転の速さと言うのは、それだけ臨機応変な対応もできることに通じるからな。  

この辺りが学者肌で、政治力に優れた王一族とは少し違う点じゃからな。今後の華氏も楽しみじゃな。さて、少々短いが今日はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは自分も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。