三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陸凱(りくがい) 字:敬風(198~269)その2

さて、今回は陸凱の紹介の続きじゃな。今回は前回紹介した以外の逸話について見ていくとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は陸凱の記事の続きを書いていくとしようかのう

あの上奏文についても、紹介していくのか。 

張郃さんはああおっしゃっていますが、そう言えば前回政治のところでも、追加は別でと言っていたことに関係あるのですね

そうじゃな、書くとしても内容をきちんと読んで省略できる部分を省略して、でないと無理じゃからなあ。まあ、まずはそれ以外じゃな。それぐらい長いんじゃよ。

人物紹介 

孫晧とのやり取り

宝鼎元年の正月、孫晧が晋と和議を結んだ際、その使者となった丁忠は北方から帰還すると、弋陽を襲撃すればそれを奪取することが可能だと孫晧に説いた。

これに対し陸凱は次のように言った。

「そもそも兵器と申すものは已むを得ざる時にだけ用いるのでございます。それに三国が鼎立して以来、互いに侵入討伐を繰り返して、一年として安らかな年はございませんでした。

今強敵たる魏(晋)は新たに巴蜀の地を併合しましたが、国土を大きくしたと言う実質を持ちながらも、使者を遣わして好を求め、兵役を止めたいと願ってまいりました。

これを我が国に助けを求めに来たのだなどと考えてはなりません。ただ今、敵方の形勢が最も力にあふれておる時に当たりますのに、まぐれ当たりでその敵から勝利を得ようなどとする計画に、何の利益があるのか分かりかねます。」(『孫晧伝』)

これは実際どちらの判断の方が正しいのでしょうか。 

和議を結んだ直後の話だからな。大義名分の観点からも、また一時的に弋陽の土地を取ったとしても、それを維持できないのでは意味がないからな。

結局これは沙汰やみとなったらしいが、妥当と言えるところであろうな。 

孫晧とのやり取り02

孫晧はその性格から他人が自分を見つめることを好まず、群臣たちが御前に出る際にも、誰も真正面から孫晧を見返したりする者がなかった。陸凱は孫晧に説いていった。

「君臣が互いに相手の顔を見知っておらぬと言う法はございません。もし突然に不測の事態が発生した場合、それでは馳せ参ずべきところが知られぬのでございます。」

孫晧は陸凱が自分の方を見ることを許した(『陸凱伝』)

孫晧はなかなかむずかしい所のある君主らしいな。 

陸凱はよく自分の意見を入れさせていますね。

この辺り、孫晧に意見を容れさせる手腕の高さが、政治ではなく知謀の高さに繋がっているのかもしれないな。 

頑固なだけでなく、多少不本意であっても相手にその意見を許容させると言うことは、それだけ臨機応変に相手を説得する術があると思うんじゃよ。

さて、そんなところで今日のところは終わりじゃな。もうちょっとだけ陸凱については掘り下げてみようと思うので、もう少しお付き合いくだされ。

 

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