さて、今回紹介するのは陸凱じゃな。彼は陸胤の兄であり、198年生まれと言うことから、ちょうど陸遜の一世代下になるかどうか、と言うぐらいの時期に生まれた人物じゃな。三国時代が形成した時期を生き抜いた呉の重鎮、興味深い人物じゃのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は陸凱の紹介じゃな。呉の中~後期にかけて呉を支え活躍した人物じゃな。
今のトコ陸氏一族は多くが、軍事面も政治面もバランス良く高評価な人物が多かったですが、陸凱はどうなんでしょうか。
陸凱は軍でも実績を残している人物であるが、一族の中では文の方寄りと言えるかもしれないな。
そうじゃな、それでは陸凱について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
陸凱は伝を開いてみたところ、何度か軍を率い実績を残しておるようじゃな。
陸凱は各地の任地で治績を挙げた後、建武都尉の官を授けられ、兵士を預かった。
赤烏年間(238-251年)には儋耳太守に任ぜられ、朱崖の討伐を行って、不服住民たちを斬ったり捕虜にしたりして手柄を立て、昇進して建武校尉となった。
五鳳二年(255年)山越の不服住民、陳毖の一味を零陵に討伐し、陳毖を斬って勝利を収め、巴丘の督・偏将軍の官を授けられ、都郷侯に封じられた。後に武昌の右部督に転じた。
他の武将達と共に陸凱も寿春の戦役に参加し、その帰還の後、盪魏将軍、綏遠将軍などの官を歴任した。孫休が即位すると征北将軍のを官を授けられ、仮節を与えられた。更に孫晧が即位すると、鎮西大将軍に昇進し、巴丘の都督となった。(『陸凱伝』)
軍事も十分な実績を積んでいるのですね。呉は全体的にバランス良く評価の高い人物が多そうですね。
呉の場合、豪族の寄り合い所帯のような側面があるからな。日本の戦国時代の各地の大名の集合体のようなものだ。戦争だけでなく、自身の持つ領地の面倒も見ていかなければならないからこそ、何でもある程度はできるようになる人物が多いのであろう。
知謀
知謀に関しては、彼もまたちょっと独特の逸話があるんじゃよ
彼は軍隊の指揮に当たることになっても、書物を手から離すことがなかった。特に『太玄経』を好んで、その内容を敷演(ふえん)して、それによって占いを行ったが、よく的中した。(『陸凱伝』)
『太玄経』は易学の一種であった、と言うことから、それを生かしていた、と言うことであろうな。この辺りは王粛とも近しいことをやっているな。
王粛も易学から、状況の予測などを言い当てていましたね。
陸凱の方は実際に自ら戦場に立っていることからも、より実践部分で活用していた、と言う感じであろうかな。
政治
陸凱は県長を務め、それぞれの任地で治績を挙げた後、孫休が即位した際には将軍職と共に豫州の牧の職務を兼任し、孫晧が即位した際には荊州の牧の職務を兼任した。
宝鼎元年(266年)、陸凱は左丞相に昇進した。
孫晧が武昌に遷都すると、揚州の地(長江下流一帯)の人々は長江を遡って貢納の物資を都に運ばねばならず、この負担強化に苦しんだ。
しかも孫晧の政治施策には実際と適合せぬものが多かったことから、一般民衆はどん底の生活を強いられた。こうした事態に対し、陸凱は上訴し強く諫めた。(『陸凱伝』)
ここはさらっとしか記述がないのですね。
実はこれ以外にかなりの記録があるのだが、おそらくそれはまた次以降に紹介と言うことなのであろうな。
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簡単解説
師匠と違って他の2作品は政治が高いのですね。
まあ、お主の師匠も最後まで、政治と知謀どちらを上にするかで迷っていたようであるからな。
本来はそれぐらい政治面での実績が目立っていた、と言うことですね。
ただ、お主の師匠の評価で政治がより高いのは、王粛のように実務能力の高い人物だからな。陸凱はそれよりも実情をより重視する人物と言うことなのであろう。
張郃殿の言う通りじゃな。実務官僚として有能な人物の方をワシは政治を高めにしているんじゃ。陸凱はそれ以上に柔軟性と人を見る目があると思ったんじゃな。さて、陸凱についてはもう少し語ることがあるから次以降もよろしく頼むぞい。
よし、それでは今日のところは帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。