さて、今回は孫承の紹介じゃな。彼は孫奐の息子で、彼の後を継いだ人物なんじゃよ。ただ若くして亡くなってしまったのか、目立つ実績はなく、また子供もいなかった、とのことなんじゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫承の紹介じゃな。彼は孫奐の息子なんじゃよ。
孫奐はかなり優秀な人物でしたよね。孫承はどうなんでしょうか。
若くして亡くなってしまったからな。さすがに多くを期待するのは酷であろうな。
うむ、それではさっそく孫承について見ていくとしよう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
孫承については『孫静伝』にわずかに記述が見えるようじゃな。
(孫奐が死去した後)息子の孫承が爵位を嗣ぎ、昭武中郎将として父に代わって兵を率い、郡の太守の職務に当たった。赤烏六年(243年)に孫承が死去すると、息子がなかったことから、孫承の庶弟である孫壱を孫奐の跡継ぎに定め、仕事を引き継いで武将となした。(『孫峻伝』裴注『呉書』)
孫壱は確か最後着に亡命したんですよね。
孫綝が権力を握ってしまったことで、最終的に孫壱は魏に逃げることになってしまったからな。
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簡単解説
234年に孫奐が亡くなって、孫承がすぐに跡を継いでいるようですから、234年時点で10代半ばぐらいにはなっていたのでしょうね。
亡くなったのが243年だから、その場合まだ20代と言うことになるな。
子供がいなかった、と言うのはそう言うことなんでしょうね。
孫奐もおそらく比較的若くして亡くなったじゃろうからな。孫呉の一族も結構若くして亡くなっているようじゃなあ。さて、今日はこんなところじゃな。
よし、それでは今日のところは帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。