三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫承(そんしょう) 字:不明(?~243)

さて、今回は孫承の紹介じゃな。彼は孫奐の息子で、彼の後を継いだ人物なんじゃよ。ただ若くして亡くなってしまったのか、目立つ実績はなく、また子供もいなかった、とのことなんじゃな。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫承の紹介じゃな。彼は孫奐の息子なんじゃよ。

孫奐はかなり優秀な人物でしたよね。孫承はどうなんでしょうか。

若くして亡くなってしまったからな。さすがに多くを期待するのは酷であろうな。 

うむ、それではさっそく孫承について見ていくとしよう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫承(20歳)  50 65 30 55
 ↓ ↓ ↓ 
 孫承(45歳)  79 95 57 84

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

孫承については『孫静伝』にわずかに記述が見えるようじゃな。

孫奐が死去した後)息子の孫承が爵位を嗣ぎ、昭武中郎将として父に代わって兵を率い、郡の太守の職務に当たった。赤烏六年(243年)に孫承が死去すると、息子がなかったことから、孫承の庶弟である孫壱を孫奐の跡継ぎに定め、仕事を引き継いで武将となした。(『孫峻伝』裴注『呉書』)

孫壱は確か最後着に亡命したんですよね。

孫綝が権力を握ってしまったことで、最終的に孫壱は魏に逃げることになってしまったからな。 

 

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簡単解説

234年に孫奐が亡くなって、孫承がすぐに跡を継いでいるようですから、234年時点で10代半ばぐらいにはなっていたのでしょうね。 

亡くなったのが243年だから、その場合まだ20代と言うことになるな。  

子供がいなかった、と言うのはそう言うことなんでしょうね。

孫奐もおそらく比較的若くして亡くなったじゃろうからな。孫呉の一族も結構若くして亡くなっているようじゃなあ。さて、今日はこんなところじゃな。

よし、それでは今日のところは帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。