さて、今回は孫胤の紹介じゃよ。彼も孫静の孫に当たる人物なんじゃが、先日紹介した孫壱とは父が違うんじゃな、孫壱は孫奐の息子じゃが、孫胤は孫皎の息子なんじゃな。孫皎は孫奐の兄であることから、孫胤と孫壱は従兄弟の関係じゃな。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫胤の紹介じゃ。上でも書いておるが孫胤は孫静の孫であり、孫壱とは従兄弟の関係にあるんじゃよ。
広義な意味で孫壱とは同族に当たる訳ですか。孫壱の件で実害を被ったりはしなかったのですか?
史書を見る感じだと、孫胤は恐らく孫壱の事件の時にはもう亡くなっていたような感じじゃな。
見た感じ若くして亡くなったようじゃからな。じゃが孫胤はともかく、孫静の一族は孫壱と言い、結構非業の最後を遂げた人物が多いんじゃな。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
さて、孫異の記述じゃが、その記述量は少ないようじゃな。
建安二十四年(219年)に、孫皎は死去した。孫権はその死後、彼の功績を評価して、息子の孫胤を丹陽侯に任じた。孫胤が死去した後、息子がなかった。(『孫静伝』)
息子がいなかった、と言うことですから、早く亡くなった、と言う考えなのですね。
恐らくはそう言うことであろうな。だから孫胤自身はお主らの言葉を借りれば、畳の上で死ねた、と言えるのではないかな。
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簡単解説
孫胤が評価が微妙なのは、若くして亡くなったためですかね。
さすがにあれだけの記述で将軍か文官か、どちらのが向いていたかは分からんからな。
こればかりは仕方ありませんね。
父は関羽討伐での実績もあるし、武官寄りとは思うんじゃがな。さて、今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは自分も今日は帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。