さて、今回は孫助の紹介じゃな。彼は孫河の息子の一人であり、おそらく長男であったと思われる人物じゃ。ただ、彼は若くして亡くなってしまったようなんじゃよ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫助の紹介じゃな。孫河の長男と思われる人物じゃ。
孫河と言えば、孫桓や先日紹介した孫俊と言った人物が息子でいますよね。
もう一人、孫誼も孫河の息子だな。彼も若くして亡くなっているから、孫助と似たような状況だな。
曹一族もそうじゃったが、孫一族も親兄弟の関係が複雑に絡み合っておるのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
孫助についてじゃが『孫桓伝』にわずかに記述が見えるようじゃな。
孫河には四人の息子があった。長男の孫助は曲阿県の長となった。若くして死去した。(『孫峻伝』裴注『呉書』)
この辺りは孫誼とほぼ同じような評価となっているのですね。
孫桓や孫俊と違って、目立つ実績や評判と言うものはないのが残念なところだな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
簡単解説
そう言えば孫河の後を息子たちは継いでいないのですね。
孫河が亡くなったのが204~205年ごろだからな。孫桓が198年生まれと言うことは、下手したら長男の孫助ですら、まだ10歳前後ぐらいだったのではないかな。
確かにその年齢で跡を継ぐのは難しいですね。
孫河の後を継いだのは甥の孫韶じゃが、彼はこの時点ですでに17歳だったようじゃからな。族子でしかなかった陸遜が陸康の後、一族を取りまとめたようなもんじゃろうな。
さて、今日はこんなところじゃな。
よし、それでは今日のところは帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。