三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

張飛(ちょうひ) 字:益徳(?~221)・その1

さて、つづけて張飛の紹介じゃな。

字は益徳、幽州涿郡の出身じゃな。生年は不明、没年は221年じゃな。

演義では酒の失敗をよくやっておる張飛じゃが実際はどうであったのか。簡単に紹介していくかのう。

張飛紹介その2(その他・能力評価)

 

人物紹介

さて、劉備関羽に続いて張飛の紹介じゃな。

演義では三国志を代表する猛将ですよね、正史ではどうなんでしょうか。

うむ、普通に正史でも猛将として扱われておる。そこは関羽と一緒じゃな。

なるほど、それじゃまた戦績からの紹介になりますか。

そうじゃな、もしかしたら張飛は2回で終われるかもしれん。頑張って紹介していくぞい。

軍事面の実績 

張飛戦績

    対黄巾   

   対下邳賊   

    曹操   × (高唐)

    対張純   

    曹操    (徐州1)

    対袁術    (淮陰)

    呂布   × (徐州1)

 対楊奉・韓暹   

    呂布   ×  (小沛)

    呂布    (徐州2)

 対劉岱・王忠   

    曹操   × (徐州2)

    曹操   × (白馬)

    曹仁   × (汝南1)

    対蔡陽    (汝南2)

    曹操   × (汝南3)

夏侯惇于禁     

    対曹操   × (長坂)

    曹操    (赤壁

    曹仁    (江陵)

    対白帝    (涪)

    対厳顔    (江州)

    対張裔    (徳陽)

    劉璋    (成都

    張郃    (宕渠)

 曹洪曹休   × (下弁)

 

                      26戦 14勝9敗3分

 

およそ以上じゃのう。勝率は5割4分弱じゃな。じゃが後半の勝率は劉備と同じぐらい高いんではなかろうか。戦績自体は関羽よりも安定しており、単純に将として正面から戦った時の強さは下手をしたら関羽以上かもしれん、と言うのが個人的感想じゃな。

 

主な軍事内容

下邳の戦い

劉備袁術と戦っている間に呂布に下邳の城を奪われたんじゃが、『英雄記』によると、劉備の中郎将の丹楊の許耽は夜闇に紛れて、司馬の章誑を呂布の下に送り、「張益徳と下邳の相の曹豹がけんかして、益徳が曹豹を殺しました。城中は大混乱に陥り、互いに疑心暗鬼になっております。丹楊郡の兵千人は西の城門、白門の内側にいますが、将軍(呂布)が東方へ来られたと聞いて、こぞって小躍りして喜び、生き返ったようです。将軍の軍勢が西門に向かわれたら、丹楊郡の軍勢は即刻門を開き、将軍を迎え入れるでしょう」と言わせたんじゃよ。

呂布はそれで下邳の城内に攻め込み、張飛の軍勢をさんざんに撃ち破ったんじゃよ。

この時に張飛の問題点が見え隠れしておるのう。

長坂の戦い

曹操荊州に攻めてきた時、当陽の長坂で追いつかれたんじゃよ。劉備張飛に二十騎を指揮させて背後を防がせたんじゃ。張飛は川を盾にして橋を切り落とし、目を怒らせて矛を小脇に抱えて「俺が張益徳じゃ。かかってこい、死を賭して戦おうぞ。」と呼ばわったんじゃ。この張飛の勇気のために劉備は助かったんじゃよ。

張飛は粗暴な部分もあるが、ここでは勇猛さにより劉備の命を救ったケースじゃな。じゃが橋の上での仁王立ちではなく、橋を落としてじゃから少しだけインパクトが落ちるの。

江州の戦い

劉備益州に入って劉璋を攻撃した時、張飛諸葛亮と共に長江の流れをさかのぼって攻め上がり、手分けして郡県を平定していったんじゃ。恐らく最初に白帝を攻め落とし、張飛は江州に到達すると、劉璋の将で巴郡太守の厳顔を撃破し、厳顔を生け捕りにしたんじゃよ。張飛は厳顔を怒鳴りつけて「大軍がやってきたのに、なぜ降伏せず、敢えて抗戦したのか。」と言うと厳顔は「あなた方は無礼にも我が州を侵略した。我が州には首をはねられる将軍がいるだけで、降伏する将軍はいないのだ。」と答えたんじゃ。見事な受け答えじゃな。

張飛は立腹して首を斬らせようとしたが、厳顔は顔色一つ変えずに「首を斬るならさっさと切ればよい。どうして腹を立てることがあるか。」と言ったんじゃ。

張飛は見事だと感じて彼を釈放し、招いて賓客としたんじゃよ。

見事な態度の人物には素直に敬服する、ここは張飛の良い面が見えているのう。

宕渠の戦い

216年頃、魏の張郃が巴東、巴西の二郡を下して住民を漢中に移住させておったんじゃ。これ以上の進軍を許すのは劉備達には死活問題になる訳ということで、張飛に命じて張郃を攻撃させるんじゃ。

 

張郃伝と張飛伝を見ると、恐らく以下のような経緯じゃろうな。

まず張郃は巴東を下してそこの住民を移住させ、続いて巴西へ侵入し、そこも一旦落として住民を移住させようと宕渠に駐屯しているところに、巴西太守となった張飛がやってきた感じじゃな。その状態で両者は50日以上対峙するんじゃよ。

 

張郃は住民移住をしながらの対峙じゃったから、かなり厳しかったと思うんじゃが、最終的に張飛は(恐らく)張郃が知らない街道を利用して、張郃軍の移動先に回り込み、張郃軍の前後が助け合えないような街道で迎え撃って散々に破るんじゃ。鮮やかな地形戦の勝利と言う訳じゃな。

 

この時、地形戦の勝利に黄権が絡んでおる可能性があるんじゃよ。

この張飛張郃の戦いの直前に、黄権張魯を迎えに漢中方面に向かっておったんじゃ。張魯自身は曹操に降伏してしまい、黄権はなすすべなく戻ることになるんじゃが、移動ルートを考えると、この途中で張飛と会っている可能性が高いんじゃ。元々黄権はこの巴西郡の出身で地元の地理に詳しいんじゃよ。

 

地元民の黄権の知略と張飛の武勇が合わさって、張郃と言う難敵を排除することに成功した、と言う感じじゃな。

 

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雑談ぢゃ

さて、張飛の実績じゃな。

個人的には戦績を見ると関羽より強い、と言う印象がありますね。荊州以降は劉備同様ほとんど勝ちっぱなしじゃないですか。

うむ、じゃが関羽が弱いと言うのも違うと思うんじゃ、単に相手に難敵が多かっただけじゃと思うからのう。

張飛の場合、最大の戦果は張郃を破っていることでしょうか。

そうじゃな、一番の難敵じゃったと思う。張郃にしてみると50日以上も対峙すると言うのは本来やりたくなかったと思うんじゃよ。

それは何故でしょうか?

うむ、張郃が巴東と巴西を落としているが、半分孤立状態で敵地におる訳じゃし、しかも住民を移住させるには兵をそちらにも割かねばならない。

兵站も心許ない訳ですから、長引けば長引くほど不利になると言う訳ですね。

一方の張飛も相手が張郃と言うことで思った以上に警戒しておったと思うんじゃ。それが50日以上の対峙、と言う結果に繋がったんじゃろうな。

じゃが、張飛が調べてみると、どうも張郃の後ろには誰のサポートもいないようなんじゃな。実際夏侯淵の伝ではこの張郃の進撃に関する記述が書かれておらんのじゃ。

そして張郃が孤立していることを確信して、宕渠の戦いにて華々しい戦果を挙げた、と言うことですね。

最後の曹休曹洪との戦いも直接敗れた訳ではないし、蜀の武将としては戦績と有名が結構ぴったりくる人物の一人じゃな。

さて、張飛の一回目はここまでじゃな。2回目は多分張飛の変わったエピソードと能力評価に行けると思うぞい。

次も見てくださいね、それではまたです。

 

1⃣・2⃣