さて、今回紹介するのは曹豹じゃな。
知る人ぞ知る有名人じゃが、最近の人は知らんかのう。有名人じゃが、字や生没年ははっきりしないんじゃよ。
さて、彼がなぜ有名になったのか、記憶にある限りじゃが、ちとその辺りも述べていくとしようかのう。
さて、今回は陶謙の配下曹豹の紹介じゃな。
演義では確か張飛に斬られる人ですよね、上で有名な人物と書いていますが、張飛に斬られただけでそんなに有名になるのでしょうか?
うむ、まあその辺りは曹豹本人とは関係ないところでの話じゃな、後で書いておくぞい。
曹豹本人ではないと言うことは何かの人為的な要因がある、と言うことですね。
そうじゃな、それでは曹豹の紹介と行こうかの。
人物紹介
史書における曹豹
史書における曹豹じゃが、その記述は極めて短いんじゃ。まずは194年、曹操が陶謙討伐に徐州へ侵攻してきた時じゃ。曹操が東海から帰還の途中郯を通過した時じゃ。丁度劉備と陶謙の将の曹豹は郯の東に駐屯しており、曹操をこの地で迎え撃ったんじゃ。
しかし曹操は彼らを撃破した、と言う話なんじゃな。
続いて『英雄記』に彼は出てくるんじゃが、劉備が徐州を治めておった時に、劉備は張飛を後に残して下邳を守らせ、劉備自身は兵を率いて袁術と淮陰の石亭で戦ったが、互いに勝ったり負けたりした、とあるんじゃ。
丁度その頃陶謙の元将軍の曹豹が下邳におり、張飛と折り合いが非常に悪かったようなんじゃ。結果張飛は曹豹を殺害しようとしたんじゃな。じゃが曹豹は陣営を固めて守備しつつ、人を遣って呂布を招き寄せた、とあるんじゃ。
こちらも『英雄記』じゃが、呂布が下邳の西40里の地点に到達した時、劉備の中郎将の丹楊の許耽と言う人物が、夜間に紛れて司馬の章誑を呂布の下に遣わし以下のように言うんじゃ。
「張益徳(張飛)と下邳の相曹豹がけんかして、益徳が曹豹を殺害しました。
城中は大混乱に陥り、互いに疑心暗鬼になっております。丹楊郡の兵千人は西の城門、城門の内側に駐屯していますが、将軍(呂布)が東方へ来られたと聞いて、こぞって小躍りして喜び、生き返ったようでございます。
将軍の軍勢が城の西門に向かわれましたならば、丹楊郡の軍勢は即刻門を開いて、将軍を迎え入れるでありましょう。」
これにより呂布は難なく下邳の城に侵入し、張飛の軍勢を散々に打ち破るんじゃよ。ちと奇妙なのが、上の文章では張飛の攻撃を陣営を固めておるのに、下では張飛によって曹豹は殺害されていることじゃな。同じ『英雄記』の記述じゃが、内容に齟齬があるようじゃな。
じゃがここから曹豹の記述が出てこなくなるのも確かじゃな。
有名人?曹豹
さて、曹豹が有名になった要因じゃが、昔光栄さんが三国志や信長の野望に関するゲームや歴史に関する投稿とかをまとめた『光栄歴史ゲームパラダイス』と言う雑誌を刊行しておったんじゃ。
その頃になぜか曹豹好きな方のアツい投稿がきっかけで、曹豹愛を語る投稿が爆発的に増え、曹豹血盟軍・・じゃったかな。そう言う特集が組まれるようになったんじゃ。
こうして一部の歴史ファンの間で、曹豹は非常に有名な人物となったんじゃな。
本人が望んだ訳ではないじゃろうが、ある意味では非常に幸運な話じゃな。さて、そんなところで人物紹介はここまでじゃな。
続いて能力評価と行くぞい。今回は全作品に登場じゃな。
能力評価
曹豹は目立つほどの実績はないので全体的な能力は抑え目じゃな。一応張飛と争い、張飛からの攻撃を受けた時も陣営を固め、張飛の攻撃を跳ね返したことから、統率はやや高めとしたんじゃよ。有名人と言うには少し寂しい能力じゃが、仕方あるまいの。
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雑談ぢゃ
さて、曹豹の能力評価じゃ。彼は有名人じゃが、能力はそこまで高くできんかったのう。
コーエーテクモさんと鄭問さんは武官のような能力ですね。天舞さんは師匠に少し近いですね。
そうじゃな、一応下邳の相であったこと、張飛を出し抜いて呂布を引き込んだことなどから、統率と次に知謀を評価したんじゃ。多分天舞さんも似たような感じじゃろうな。
多分そうじゃろうな。それにしてもあの当時の曹豹人気は不思議なものがあったのう。さてそんなところで曹豹の紹介は終わりじゃな。
良ければ次もご覧ください。それと他に興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。