三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

黄忠(こうちゅう) 字:漢升(?~220)

さて、今回紹介するのは黄忠じゃな。字は漢升、生年は不明じゃが没年は220年。初期は劉表、後に曹操に仕えるが、最終的に劉備に従い、益州・漢中攻略で大活躍した人物じゃな。

 

さて、今回は黄忠の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。蜀を代表する五将軍の一人だな。 

演義の五虎大将軍の一人ですよね。さすがに有名な人物ですが、劉表に仕えていた時期があったんですね。

まあ、関羽が老いぼれと言うぐらいだから、191年頃は既に結構な年齢だった可能性は高い訳じゃからのう

地方の官吏だった、と言うことですね。

そう言うことじゃな。それでは黄忠について順に見ていくとしようかのう

人物紹介

劉備に仕える以前の黄忠

さて、劉備に仕える以前の黄忠じゃが、前半生は記録が残っておらず、はっきりとしたことは分かっておらんのじゃ。ただ彼は荊州南陽郡の出身で、地元の人間であったわけじゃから、地方官として役所務めをしておったと思われるんじゃよ。

劉表荊州に来た後、黄忠は中郎将に任じられ、劉表の従子の劉磐と共に長沙の攸県を守っておったんじゃ。

じゃが劉表が亡くなり、曹操荊州を制圧すると、黄忠を仮の裨将軍(副将軍)の官に付け、そのまま元の任務を執り行わせたとあるんじゃ。

そしてこの時長沙太守に韓玄が就き、彼の統制下に黄忠を置いたんじゃ。

曹丞相も普通に黄忠を評価しておったようにも思えるな。ちなみに演義で描かれておる、関羽と一騎打ちを行ったり、韓玄黄忠を疑って処刑しようとしたため、逆に魏延に殺害された、と言う逸話は演義の創作だから鵜呑みにせぬようにな。

後に劉備荊州南方の諸郡を制圧した時、黄忠劉備に臣下の礼をとって付き従うようになったんじゃ。

劉備配下としての活躍

劉備益州にはいる際、黄忠も一緒に入国し、葭萌にて劉備の任を受け劉璋を攻撃するとなると、黄忠は常に真っ先に駆けて陣地を落とし、その勇敢さは三軍の筆頭であった、と言うんじゃよ。

益州攻略の功績により討虜将軍に任命されるんじゃが、彼の活躍はこれで終わりではないんじゃ。

漢中にて夏侯淵張郃殿と対峙した時のことじゃ。

『先主伝』を見ると、劉備が陽平関から南下して沔水(べんすい)を渡り、山に沿いつつ徐々に前進し、定軍山に陣営を築いた時のことじゃ。

丁度この地に夏侯淵もやってきて、その地を奪い合ったんじゃよ。そこで法正が「攻撃すべきです。」と進言してきたので、劉備黄忠に命じて高所に登らせ、軍鼓を打ち鳴らし、喚声を上げて攻撃させるんじゃ。

夏侯淵の軍も非常に精悍であったが、黄忠は鉾を突き立てあくまで進軍し、率先して士卒を励まし高所の利も生かして、遂に夏侯淵を斬って大勝利を収めるに至るんじゃよ。

我らの将がやられる、一番の屈辱ではあるが、相手が相手であるだけにいたしかたなかったのであろう・・・な。

戦後の揉め事

夏侯淵を破った功績により、戦後黄忠は征西将軍に任じられるんじゃよ。

ふむ、魏であるなら征西将軍は常設の高位将軍号となるが、蜀の場合はまだ元の漢の将軍号と同じ、雑号将軍に留まっているようだな。

その後、劉備が漢中王になる際、黄忠を後将軍に起用しようと思うんじゃが、諸葛亮がこれに異を唱えるんじゃ。

黄忠の名声人望は元々関羽馬超と同列にはありません。それを今直ちに同等の位につかせようとしておられます。馬超張飛は近くにいて彼の手柄を見ておりますから、まだご趣旨を理解させることができるでしょうが、関羽は遠くで聞いてこれを恐らく喜ばないに違いありません。どうも良くはないのではないでしょうか。」

ただ劉備は「わしが自分で彼に説明しよう。」と言って、同等の官位に付けたんじゃ。

実際に関羽は腹を立てるんじゃが、この時使者に赴いていた費詩が

「漢王(劉備)は一時の功績によって黄忠を高い身分にされましたが、しかし心中の評価がどうして君侯(関羽)と同等のはずがありましょうか。」

と説得し、ついに関羽も納得して拝受するんじゃよ。

関羽も存外子供っぽいところがあるな。官位など飾りに過ぎぬ・・・とは言え、まあ魏国も似たような部分はあるか、意地と誇りに縛られた人間も多いしな。

誰しも自己顕示欲と言うものは存在しますからのう。関羽にとって、自身は劉備配下の筆頭でないと気が済まない部分があったのかもしれんのう。

ちなみに黄忠じゃが、この翌年逝去するんじゃよ。演義とは違って夷陵の戦いには参加しておらんと言うことじゃな。

それでは黄忠の人物評価は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はもちろん全作品に登場じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 黄忠(20歳)  140 80 65 35
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓ ↓↓
 黄忠(45歳)  178 112 95 51

 

黄忠は蜀平定戦及び漢中攻防戦での活躍により、特に軍事を高く評価したんじゃ。軍事の高さは夏侯淵も凌ぎ、それにより夏侯淵は撃ち破られた、と言う感じじゃな。

防衛や大軍を率いた実績はないので、統率はそれなりじゃな。また、劉表時代から基本武官として登用されておることから、知謀・政治面は抑えめの評価じゃ。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 黄忠  87 93 63 52 74

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 黄忠  12 11 7 3 2 9

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 黄忠  23 14 10 13 23

 

 ↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい

 

雑談ぢゃ

さて、黄忠の能力評価じゃな。

夏侯淵殿と比較すると、統率は夏侯淵、軍事は黄忠と言うのが傾向として読み取れるな。天舞だと夏侯淵の評価が妙に低いな・・・  

鄭問さんは黄忠の政治が結構高いですね。この辺りは評価基準が良く分からないですね。

そうじゃな、演義でも文治面での話も特に聞かんから、この黄忠の政治は少し高すぎる気もするのう。 

演義で言うと五虎大将軍は横並びで考えているであろうから、その中で数値を調整しているのかもしれないな  

なるほど、同一グループの中で数値を調整して、誰かが極端に高くなったり低くなったりせんようにしているのかもしれんのう。いつか5人が揃ったら比較してみるとしようかのう。さて、黄忠についての評価はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰ろう。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。