さて、今回紹介するのは曹仁じゃ。字は子孝と言い、生没年がはっきりしている人物じゃよ。
若い時から弓術・馬術・狩猟を好んでいたようじゃな、戦国時代で言う男伊達を好む、傾奇者のような人物じゃったのかもしれんのう。
さて、そんな曹仁の紹介と行こうかのう。
人物紹介
さて、今回は曹仁じゃな。
彼は演義では大体やられ役のような印象が強いですね。
うむ、史実では逆に武将としては最強候補の一人と言っても良いぞい。
そんなに強いんですか?ちょっと意外ですね。
まあ演義を読んでおると、そんな印象も仕方ないかもしれんのう。まずは軍事面の紹介から行こうかの。
軍事面の実績
対劉詳 〇 (匡亭)
対袁術 〇 (匡亭)
対袁術 〇 (封丘)
対袁術 〇 (襄邑)
対袁術 〇 (太寿)
対袁術 〇 (寧陵)
対呂由 〇 (十余城)
対陶謙 〇 (彭城)
対陶謙 〇 (費)
対陶謙 〇 (華)
対陶謙 〇 (即墨)
対陶謙 〇 (開陽)
対劉何 〇 (句陽)
対劉辟・黄邵 〇 (汝南)
対楊奉 〇 (梁)
対張繍 〇 (宛周辺)
対張繍 〇 (舞陰)
対劉備 〇 (汝南)
対韓荀 〇 (雞洛山)
対袁紹 〇 (官渡)
対高幹 〇 (壺関)
対周瑜 〇 (江陵1)
対周瑜 × (江陵2)
対田銀 〇 (河間)
対侯音 〇 (宛)
対関羽 △ (樊1)
対関羽 〇 (樊2)
対陳邵 〇 (襄陽)
対朱桓 × (烏江)
30戦 27勝2敗1分
およそ以上になるのう。トータルの勝率は9割じゃな。今まで戦績披露してきた中で勝率が一番高い人物じゃなかろうか。単に強いだけでなく、かなり粘り強く相手の攻撃に耐えるんじゃな。関羽の樊城攻略だけでなく、周瑜との戦いも形成が不利な中、一年近くも粘っておるんじゃよ。攻防共に優れた人物じゃろうな。続いて主な戦闘の内容を記載するぞい。
主な軍事内容
袁術との戦い
曹仁は袁術との戦い辺りから名前が出てくるんじゃ。この時曹仁は曹操の配下となり、別部司馬となって、行厲鋒校尉に任ぜられたんじゃ。袁術を撃破した時に、曹仁が斬り殺したり、生け捕りにしたりしたものはかなりの数にのぼったそうじゃ。
劉備との戦い
袁紹が曹操と官渡で対峙している時、劉備を許の南に派遣し、劉備は汝南の辺りで暴れまわったんじゃ。憂慮する曹操に対して曹仁は「我が大軍は目前の急務があるから救援できない情勢にあると南方では判断しております。そこを劉備が強力な軍隊を擁して向かってきたのですから、彼等が反旗を翻すのも当然です。しかし劉備は袁紹の軍隊を率いてから日が浅く、まだ思いのまま動かせるまでにはなっておりませんから、これを攻撃すれば打ち破ることができます。」と進言したんじゃ、見事な判断力ではなかろうか。曹操はこの意見を善しとし、曹仁に騎兵を率いて劉備を攻撃させたんじゃよ。そして見事に曹仁は劉備を撃破するんじゃ。
周瑜との戦い
赤壁後、荊州で曹仁は周瑜と対峙するんじゃ。これは一年近くにも及ぶ滞陣で、最終的には曹操が曹仁を引き揚げさせるんじゃが、その中で下のようなエピソードがあるんじゃよ。
初めに周瑜の先鋒隊数千人が到着した時、曹仁は300の兵士を募り、牛金を派遣してこれを迎え撃って戦わせたんじゃ。しかし結局牛金は負け戦となり包囲されたんじゃ。
曹仁と共に城壁に登って、この様子を見ていた陳矯等は真っ青になったんじゃ。曹仁は怒り、側近の者に馬を引けと命じたんじゃ。陳矯等は一緒になって引き留めるんじゃ。「賊軍は数多く勢い盛んです。対抗できません。たとえ数百人を見殺しにしたところが何ほどの損害がありましょう。将軍おん自ら出向かれるとか言語道断です。」
これは陳矯の言う通りで、本来将軍職にある指揮官が最前線に出ることは、魏では厳しく戒められておるんじゃ。もし指揮官が討ち取られでもしたら軍団の崩壊にも繋がるからのう。
じゃが曹仁は何も言わずに鎧を付け、直属の勇士数十騎を率いて城を出るんじゃ。敵から百歩余りの地点に来たところで、陳矯はそこから牛金援助の構えを示すと思っておったんじゃ。しかし曹仁はまっすぐ敵の包囲陣に突っ込むんじゃ。
こうして牛金は何とか脱出することができるんじゃよ。
じゃが残りの軍兵が包囲の中から脱出していないことを見ると、曹仁は直ちに取って返して再び突入し、牛金の兵士たちを救い出したんじゃ。
陳矯らは最初曹仁が出撃していくのを見た時、皆恐怖で震え上がっていたが、曹仁が帰還するに及び、ため息をついて以下のように言ったんじゃ。
「将軍は本当に天上世界のお方だ。」
全軍の兵士は皆彼の勇気に心服したということじゃな。こうして周瑜率いる呉軍の出鼻をくじき、一年余りの激闘を繰り広げていくことになるんじゃよ。
関羽との攻防戦
関羽が樊城に攻め上ってきた時、丁度漢水が氾濫を起こし、于禁も降伏の憂き目にあったんじゃ。曹仁は数千の人馬と共に城を守ったが、城壁の内水没しないのは一丈前後と言うありさまだったようじゃ。
関羽は城を幾重にも包囲し、外部と城内との交通を遮断したんじゃよ。
城内の食料はあわや底をつかんと言う状態なのに、救援軍はやってこんかった。
じゃがそんな絶望的な状況でも曹仁は将兵を激励し、必死の覚悟を示したために、将兵は感動して誰も二心を抱かなかった、と言うんじゃ。見事ではないか。
徐晃の救援が到着したころ、水も引き始め、関羽に対する徐晃の攻撃に呼応して曹仁も包囲網を突き破って出ることができたんじゃ。
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雑談じゃ
さて、曹仁軍事実績じゃな。どうじゃ、なかなかの戦績であろう。
確かに今まで出てきた武将の中でも勝率の高さは特筆ですね。それと牛金救出時の武勇はすごいですね。
そうじゃな、次で詳しく書くがこの時の武勇伝から魏では武勇一番手は曹仁、次点で張遼、とも書かれておるぐらいじゃ。
張遼って演義でもかなり評価高いですよね。それより上って言うのが、曹仁のすさまじさを物語っていますね。
そうじゃな、すさまじい武勇に加えて粘り強くも戦える。また張郃ほどではないかもしれんが、的確な状況判断も行っておる。
師匠の評価はかなり高そうですね。関羽や張飛と比べても引けは取らなさそうですね?
まあその辺りは能力評価の時のお楽しみじゃな。さて、今日はこんなとこかのう。次もよろしく頼むぞい。
分かりました、良ければ次も見て下さいね、それではまたです。