三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

李通(りつう) 字:文達(168~209)その1

さて、今回紹介する人物は李通じゃな。字は文達、生年は168年、没年は209年じゃな。わずか40歳前後で亡くなってしまう李通じゃが、彼の武勇は魏軍の中でもかなりのモノがあったと思えるんじゃよ。

 

さて、今回紹介するのは李通じゃな。

どうも、張郃だ。李通殿は演義だと目立たんが、その武勇は演義の五虎大将軍にも劣らないほど凄まじいものがあるぞ。  

史書じゃなくて演義で、と言うのが凄いですね。何か張遼さんみたいですね。

魏の武将は演義でかなり矮小化されている人物が多いから誤解されがちだが、その実力は呉蜀の将軍と比べても決して劣ることはないからな。  

魏は史書でリアル無双をやっておる人物が結構いるからのう。それでは今回も戦績の方から見ていくとしようかのう

 

人物紹介

軍事面の実績 

李通戦績

    対周直    〇 (朗陵)

    対陳郃    〇 (朗陵)

    対呉覇    〇 (汝南?)

    対張繡    〇 (宛)

    対瞿恭    〇 (陽安)

    対江宮    〇 (陽安)

    対沈成    〇 (陽安)

    対張赤    〇 (桃山)

    関羽    〇 (北道)

    周瑜劉備 〇 (江陵)

 

    10戦 10勝

 

およそ以上になるんじゃ。と言うか勝率は10割か。大物相手が少なかったとはいえ、これは誇るべき値ではなかろうか。

魏にとってはピンチに駆け付け、戦局をひっくり返す、何とも頼もしい人物であったんじゃよ。

 

主な軍事内容

張繍戦での援軍

まずは張繍との戦いじゃな。198年曹操は宛に張繍を攻めるんじゃ。この時は荀攸張繍劉表は互いに助け合っているから攻めるのは困難です、と曹操を諫めるんじゃ。

曹操はそのまま張繡を攻めるんじゃが、荀攸の言う通り、劉表が兵を派遣してきたことで苦境に陥るんじゃな。

その時に表れたのが李通じゃ。李通は夜の内に曹操の下に辿り着き、曹操は軍を立てなおして継戦できるようになったんじゃよ。

更に李通は自ら先陣に立ち、散々に張繡の軍を撃ち破ることに成功したんじゃよ。

自ら先陣に立つところは張遼殿や曹仁殿にも通じる部分がある。己の武勇に自信のある証拠だな。

江陵の戦い

さて、時代は少し下り、赤壁の戦いの後に起こった荊州北部での戦いじゃな。

劉備周瑜は共に曹仁を江陵に包囲し、更に関羽に命じて北道を断ち切り、曹仁を孤立させたんじゃよ。

ここで再び登場するのが李通じゃ。

李通は軍勢を引き連れると関羽の陣を攻撃し、馬を降りて逆茂木を引き抜いて突破し、更に包囲陣へ突入するんじゃ。

明確には書かれておらんが、曹仁を包囲しておったのは周瑜劉備なので、彼らの陣にも攻め込んでいることになるんじゃな。

李通は戦いながら前進し、ついには曹仁の軍を救出することに成功するんじゃ。

この時の武勇は諸将第一であった。それだけ李通殿の活躍はすさまじく、周瑜が江陵奪取するのに一年かかった要因の一つと言えるだろうな。

文聘殿とはまた違った形で魏軍に大きく貢献した人物と言えるじゃろうな。

さて、キリの良いところじゃから、一旦ここで終わるとしようかのう。次は李通の軍事以外の側面、そして能力評価と行こうかのう。次もよろしく頼むぞい。

 

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