三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

于禁(うきん)  字:文則(?~221)その1

さて、今回紹介するのは于禁じゃな。字は文則じゃな。

彼も張郃と並んでワシが三国志で好きな人物じゃよ。字は文則じゃな。彼は最近でこそ、魏の名将としての認知度が上がっておるが、彼の評価はまだ中途半端な感じもするんじゃよ。

そこで彼の戦績などを紐解き、人物像を追っていくとしようかのう。

于禁紹介その2(その他、評価)

 

人物紹介

さて、今回は于禁の紹介じゃな。魏を代表する五将軍の一人じゃな。

そう言えば五将軍と言うのは何でしょうか?五虎大将みたいなものですか?

みたいなものどころか、そのままじゃな。正史三国志と言うのは似たような実績などを行った人物たちをグループごとにまとめ、それぞれ個人の伝を立てておるんじゃ。

蜀なら関羽張飛馬超黄忠趙雲が武官筆頭のグループとしてまとめられておる。これが後に小説の三国志演義で五虎大将として創作されておるんじゃ。

それと同じ五人のグループが魏にもある、と言うことですね。

そうじゃ、魏では同じような役割を果たした武官筆頭グループとして、張遼楽進于禁張郃徐晃(付伝朱霊)の伝がまとめられておるんじゃ。

武官筆頭と言うことはいずれも実力者ぞろいと言うことですね。

そうじゃな、既に朱霊と張郃は紹介が終わっておる。

朱霊の前についている付伝と言うのは何でしょうか?

うむ、朱霊は個人では独立した伝が建てられておらず、徐晃の伝の中に朱霊の紹介が付け加えられるような形で書かれておるんじゃ。こう言うのを付伝と言うんじゃよ。おまけのようなものじゃな。

そう言えば于禁の方も確か朱霊と関係がありましたよね。 kumajisan.hatenablog.com

そうじゃな。一時期朱霊は軍を取り上げられて、于禁の指揮下におった時期もあるぞい。

それではそろそろ于禁の紹介と行こうかのう。今回もボリュームが結構あるので、2回ぐらいに分かれると思うぞい。まずは戦績などの紹介じゃな。

軍事面の実績 

于禁戦績

    対黄巾  〇 (泰山?)

    陶謙  〇 (広威)

    呂布  〇 (濮陽1)

    呂布  〇 (濮陽2)

    対高雅  〇 (須昌)

   対張邈?  〇 (寿張)

   対張邈?  〇 (定陶)

   対張邈?  〇 (離狐)

    対張超  〇 (雍丘)

    対黄邵  〇 (版梁)

    対橋蕤  〇 (苦)

    張繍  △ (宛)

   対青州兵  〇 (宛) 

    張繍  〇 (穣)

    呂布  〇 (下邳)

    対眭固  〇 (射犬)

    袁紹  〇 (延津1)

    袁紹  〇 (延津2)

 対何茂・王摩  〇 (汲)

 対何茂・王摩  〇 (獲嘉)

    袁紹  〇 (杜氏津)

    袁紹  〇 (官渡)

    対昌豨  〇 (東海)

    対梅成  △ (セン山)

 対陳蘭・梅成  〇 (天柱山)

    劉備  △ (博望坡)

    関羽   × (樊城)

 

                      27戦 23勝1敗3分

 

およそ以上になるかのう。トータルの勝率は8割5分以上と言う、張郃より戦績数こそ少ないものの、張郃以上の恐るべき勝率じゃ。また王摩等を攻めた時は屯営を相当数落としておる。それらを一つずつカウントしていけば、数も恐ろしいことになるぞい。

最後の関羽との戦いは実力で敗れたわけではなく、大水害と言う天災の前に敗れた形じゃな。非常に運が悪いと言えよう。それではいくつかの戦場での戦いを披露しようとするかのう。(博望坡の戦いが抜けていたので追加、勝率も少し落ちたぞい。)

 

主な軍事内容

鮑信・曹操との出会い

黄巾の乱が起こると鮑信は兵隊を呼び集めたんじゃ。この時に于禁は彼に付き従ったんじゃ。そして鮑信が戦死した後じゃと思うが、于禁は仲間と共に曹操陣営に出頭し、都伯(隊長)となり、将軍の王朗に所属したんじゃ。王朗は于禁を高く評価し、于禁の才能は大将軍を任せられると推薦したんじゃ。

曹操は引見して于禁と話をし、彼を評価して軍司馬に任命し、兵を引き連れて徐州に行かせ広威を攻撃させたんじゃ。彼は見事にこれを陥落させ、陥陣都尉に任じたんじゃ。

兗州動乱

続いて兗州における呂布との戦いでは濮陽の南にある呂布の陣営を二つ、別軍を率いて打ち破ったんじゃ。続いてまた別軍を率い須昌において高雅を打ち破っておるんじゃ。寿張、定陶、離狐の攻撃、雍丘における張超包囲に参加し、全てそれらを陥落させた。

黄巾の黄邵が曹操の陣営に夜襲をかけてきた時は直属の兵を指揮して彼らを撃破し、黄邵等を斬り、その軍勢をすべて降伏させたんじゃよ。この功績により平慮将軍に昇進したんじゃ。

張繍との戦い

宛にて張繍曹操は一旦降伏させたんじゃが、その後張繍は再び反乱を起こしたんじゃ。この時曹操軍は形勢不利で軍は敗北を喫し、舞陰へ引き返したんじゃ。こんな状況だったので、曹操軍は混乱していたんじゃが、于禁だけは部下数百人を指揮し、戦いつつ引き揚げたんじゃ。死傷者はおったようじゃが、離散する者はおらんかったようじゃな、敵の追撃が次第に緩くなると、于禁はおもむろに隊列を整え、太鼓を鳴らして帰還したんじゃ。見事な統率力と言えるじゃろうな。

青州兵の狼藉

この張繍との戦いの時、途中で傷を受けて裸で逃げる兵士10余人に出会ったんじゃ。于禁がその理由を尋ねると「青州兵に略奪を受けました。」と言う話だったんじゃよ。以前曹操は元黄巾賊であった青州兵が降伏してきたんで受け入れたんじゃが、曹操が寛大に扱うことにつけこんで平気で略奪を行ったんじゃ。

于禁は激怒して部下たちに命令をしたんじゃ。「青州の兵は同じ曹公の部下でありながら、また悪事を働くのか。」「また」と言うのはかつて黄巾賊として暴れていたことを指しておるんじゃろう。于禁青州兵を討伐し、彼らの罪を責め立てたんじゃ。

青州兵は慌てふためいて曹操の陣営に逃げ込み、于禁の件を訴えたんじゃ。

一方の于禁曹操のところまで到着すると、まず陣営を設け敵に対する備えを施しておったんじゃ。ある人が于禁に忠告したんじゃ。「青州兵はすでに君を訴えておりますぞ。すぐに公の下に行ってこのことをはっきりさせないといけません。」

それに対して于禁は「今、賊軍が背後にいる。追撃が来るのも間もないだろう。まず備えを立てなければ、どうやって敵に対処するのだ。それに公は聡明であられる。でたらめの訴えが何の役に立つ。」と答えるんじゃ。

そして塹壕を掘り、陣営を施き終わるとやっと本陣に入り謁見し、詳しく実情を説明したんじゃな。

曹操は非常に喜び于禁に向かって「淯水における苦難は、わしにとってそれこそ危急の状況だった。将軍は混乱にありながら良く乱れず、暴虐を討ち取り砦をかためた。動かすべからず節義を備えていると言って良かろう。古代の名将であってもこれ以上であろうか。」と最上級の称賛と于禁の前後にわたる戦功を取り上げ、益寿亭侯に取り立てたんじゃ。

少し長くなりそうなので、ここでいったん切るとしようかの。2回で終わると良いがどうなるかのう。

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雑談ぢゃ

さて、まずは于禁の主な軍事面の実績じゃが。どうじゃな。

そうですね。張郃の時も思いましたが、魏の武将って基本戦績数がすごい多いですね。

そうじゃな、魏の五人はいずれも于禁から張郃の間ぐらいの戦績は皆あると思って良いぞい。

戦っている相手は演義だとほとんど出番がないので、相手が弱いようにも思うのですが、実際はどうなんでしょうか?

うーんそうじゃな、例えば昌豨は一度目の反乱の時に張遼夏侯淵が討伐に向かっておるが、数か月攻めても落とせず、兵糧が尽きていったん退却しようかと議論になった程の相手じゃ。

他にも陳蘭・梅成の時も張遼等はかなり苦戦しておる。袁紹との戦いは数が圧倒的に劣る中でも敵の攻撃を跳ね返し続け、良く陣を支えておったんじゃ。

そんなに簡単に勝てる相手ではなかった、と言うことですね。

そうじゃな、青州兵に対する態度を見ても、非常に厳格で法を遵守する人物じゃ。軍の統率方法としては于禁諸葛亮と似たタイプの司令官と言えるじゃろうな。

そう言う意味ではやはり孔明は優れた司令官、と言うことですか。

もちろんそうじゃ。まあ諸葛亮には于禁のような勇猛さはないが、一糸乱れぬ統率を行う、と言う点においては非常に似ていると言えるじゃろうな。

なるほど、いつか見比べてみたいですね。

そうじゃな。さて今回はここまでじゃな。思ったよりも長くなってしもうた。

次も見てくださいね、それではまたです。

 

1⃣・2⃣