さて、今回紹介する人物は程普じゃな。字は徳謀、生没年は不明じゃな。Wikiじゃと没年が210年となっておるが論拠はあるんじゃろうか?微妙に気になるのう。
さて、今回紹介するのは程普じゃな。彼も演義のイメージとギャップのある感じじゃな。
どうも、張郃だ。程普の場合、演義だと文武両道の人物像になっているからな。
黄蓋とイメージが逆って言っていましたね。
そうじゃ、彼はどちらかと言えば勇猛さの方が克ったイメージの人物じゃからなさて、今回は戦績も結構ありそうなので、そこから見ていくとしようかのう。
分かりました、よろしくお願いします。
人物紹介
軍事面の実績
対黄巾 〇 (宛)
対黄巾 〇 (鄧)
対華雄 〇 (陽人)
対陸康 〇 (盧江)
対張英・于糜 〇 (横江)
対劉繇 〇 (秣陵)
対劉繇 〇 (湖熟)
対劉繇 〇 (句容)
対劉繇 〇 (曲阿)
対鄒他・銭銅 〇 (烏程)
対鄒他・銭銅 〇 (石木)
対鄒他・銭銅 〇 (波門)
対王晟 〇 (陵伝)
対王晟 〇 (余杭)
対反乱者 〇 (宜城)
対祖郎 × (涇)
対反乱者 〇 (安呉)
対反乱者 〇 (陵陽)
対反乱者 〇 (春穀)
対劉勲 〇 (尋陽)
対黄祖 △ (沙羨)
対反乱者 〇 (会稽)
対反乱者 〇 (呉)
対反乱者 〇 (丹陽)
対黄祖 〇 (江夏)
対反乱者 〇 (楽安)
対曹仁 △ (南)
29戦 25勝2敗2分
およそ以上になるかのう。トータルの勝率は8割6分じゃから、魏の名将たちにもひけをとらん、見事なもんじゃ。
特に周瑜と共に都督となり曹操を撃退した赤壁、そして南郡にて一進一退の攻防を繰り広げ、最終的には曹仁を撤退さしめた戦いは見事と言えよう。それでは程普を代表とする戦いをいくつか挙げてみるとしようかのう。
主な軍事内容
程普の戦いぶり
黄巾賊との戦いや陽人での戦い等、恐らく程普は常に最前線で己の身をさらしたためか、その身には多くの手傷を負った、とあるんじゃよ。
多くの手傷を追っていることから、必ずしも自身が武芸抜群ではなかったのかもしれんが、前線で体を張り続けたことから、部下達からも慕われたのではなかろうか。
祖郎の奇襲
さて、時は孫策が涇県にやってきた時のことじゃ。『江表伝』によると、この時はまだ孫策は兵を集めている途中で兵力も十全ではない状態だったようなんじゃ。
そこに涇県の大帥である祖郎の襲撃を受けて、全滅に近い損害を受けたんじゃよ。
少々意外に感じるが、孫策もこのような苦戦をした時期があったのだな。
この時孫策も大勢の敵兵に包囲されると言う大ピンチだったんじゃが、この危地を救ったのが程普だったんじゃよ。
程普ともう一人の騎兵とが二人して孫策をかばい、馬をかけらせ大声で叫んで、矛を構えて敵兵の中に突貫したんじゃ。
あまりの程普らの勢いに気圧された敵兵が道を開いたところで、一気に孫策らは脱出に成功したんじゃよ。
さて、とりあえず程普の戦績について、今回はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい