さて、今回は士䵋の紹介じゃな。字や生没年は不明。士壱のところで孫呉の闇と言う表現をしたが、この士䵋もそれに巻き込まれた人物と言えるかのう。
さて、今回は士䵋の紹介じゃな。彼もまた士燮の弟にあたる人物なんじゃよ。
どうも、張郃だ。士燮には彼を支える複数の弟がいたのだな。
難しい読み名ですね。それにしても士䵋も色々と不幸に見舞われたのですか。
うむ、それでは士䵋について、早速見ていくとしようかのう。
人物紹介
士䵋じゃが、彼は士燮や士壱ほど記述は豊富ではないんじゃよ。
地元に戻った士壱であるが、朱符や張津ら刺史が異民族の反乱などで命を落とすことになると、士燮は上奏して自分たちの弟を各郡の太守に任じ州内の勢力を拡大していくんじゃ。
この時に士䵋は元は徐聞県の令だったんじゃが、九真太守に任じられているんじゃ。元々県令であったことから治世はお手の物であったのであろうな。
そして士燮が孫権に多数の雛を貢納しておったことは以前書いた通りじゃが、士壱もまた孫権にある者を貢納しておったんじゃが、それは何と軍馬数百頭にも及んでおった、とのことなんじゃな。
じゃが、士燮の息子の士微の反乱によって士䵋の運命も大きく合わってしまうんじゃ。
派遣された呂岱の策で、士微達が全員捕まり処刑されてしまったのは前回、士壱のところで語った通りじゃな。
この時、士䵋は士壱同様に出頭したことで減刑され、庶民に落とされることで許されたんじゃよ。
じゃがその数年後、士壱同様に法を犯したと言うことで処刑された、とあるんじゃ。
どちらも恐らく70~80代だ。こんな人物達が処刑されるような罪とはどんな行為なのだろうな。無理やり罪を背負わせて二人を排除した、と言うのが正解だろう。
逆に言うとそれだけ士一族の求心力を孫権は恐れておったのかもしれんのう。さて、そんなところで士䵋の紹介は終わりじゃ。続けて能力評価と行こうかの。彼は天舞さんのみに登場じゃな。
能力評価
士䵋は兄二人ほどの逸話はないモノの、県令から太守へと順調にキャリアアップを果たしておることから、特に文治面での才能を評価し、知謀と政治を高めとしたんじゃよ。
じゃがさすがに実績も名声も不足しているので兄達に比べると抑え目な評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、士䵋の能力評価じゃな。
ふむ、これは分かり易いなどちらも文治面はそれなりに評価しているが、と言う感じか。
天舞さんの方は士燮、士壱をスケールダウンさせたような課bん時ですね。師匠も士燮を全体的に小粒にしたような評価ですし。
まあ、士壱ほどのエピソードがなければどうしてもスケールダウンしてしまうからのう。こればかりはしようがないであろうな。
さて、ちと短いが士䵋の紹介はここまでじゃな。良ければ次も見てくだされい。
よし、今日はここまでだな、俺も帰るとするか。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。