さて、今回は士武の紹介じゃな。字や生没年は不明。彼も姓から士燮の一族であることが伺えるんじゃが、どんな関係であったのか、気になるところじゃのう。
さて、今回は士武の紹介じゃな。上でもったいぶって書いているが、彼は士燮及び士壱、士䵋の弟に当たる人物なんじゃよ。
どうも、張郃だ。ということは士壱と共に士燮を支えた人物ということか。
張郃さんもあまり知らない方なのですか。
確かに兄二人ほど有名ではないのと、比較的早くに亡くなったことがあるからのう。
人物紹介
さて、士武についてみていくと、ちょうど交州史刺であった朱符や張津が亡くなった時の話じゃな。
各郡が乱れてあちこちで反乱が起きるようになったため、士燮は上奏して、各郡の太守に自分の弟たちを推薦したんじゃ。
これにより士武は南海太守に任じられ、その地を修めることに成功したようなんじゃよ。
じゃが、それから程なくして士武は病死してしまった、とあるんじゃ。
まあ早くに病死した、とあるんじゃが、200年ごろと考えると士燮はすでに60歳を超えており、士武も50歳ぐらいには至っていたと思われ、そこそこ良い年齢であったように思うんじゃ。まあ80~90まで生きていた兄弟たちを考えれば十分若いんじゃがな。
士武は若くして亡くなったのは残念じゃが、長生きしても最後は士壱たちのような運命をたどっていた、と考えるとどうなんじゃろうな。
さて、そんなところで士武の紹介は終わりじゃ。続けて能力評価と行こうかの。彼もまた鄭問さん以外の作品に登場じゃな。
能力評価
士武はその事績自体ははっきりしないものの、太守として兄を支えていた、ということから彼もまた有能であったと考えるんじゃ。
また兄弟は全体的に文治型で長命あるが、彼は短命であることとその名に「武」と入っていることから武官よりと考え、軍事面を高めの評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、士武の能力評価じゃな。
ふむ、お主だけ他と正反対の評価なのだな?
師匠は軍事高いですが、他の二作品はどちらかと言えば政治面が高い評価になっていますね。
まあ実績がない人物じゃから、評価の仕方はまちまちになるのは仕方ないと思うんじゃ。
まあ、名や字がその人物像を表すということはあり得ない話ではないがな。どうせなら字も知りたいところだな。
張郃殿も名は体を表す、を体現しているお方じゃからのう。さて、それでは士武の紹介はここまでじゃな。
自分の場合は親の欲目でしかなかろうがな。さて、今日はここまでだな、俺も帰るとすしよう。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。