さて、今回は劉諶の紹介じゃな。彼は演義で結構衝撃的な出来事があったから、記憶に残っている人物は多いのではなかろうか、じゃがのう・・・。
さて、今回は劉諶の紹介じゃな。うーむ、憂鬱じゃな。
どうも、張郃だ。劉諶と言えば、蜀が鄧艾に降伏した時に一人徹底抗戦を主張し、最後は自害した人物だな。何がそんなに憂鬱なのだ?
いや、彼はその最後の場面で、妻子を殺害し自害した、とあるんじゃよ。自害するのはともかく、妻子を殺害、と言うのがどうにも猟奇的でのう。
ああ、確かに・・・特に子供とか確かまだ結構幼いんじゃなかったでしょうか。
なるほど、現代の感性で言うと、個人をより尊重する傾向にあるから、妻子、特にまだ年端も行かぬであろう子供を殺害する、と言うのに抵抗を感じる、と言うことだな。
そうですね、蜀漢王朝に対する忠義心は見事だと思うのですが、だからと言って彼の行為を認められるか、と言うとそこまでやらないといけない感覚はちょっと分からないですね。
そうなんじゃよな。政治的にも彼の行動が正しいか、と言うとそうとも思えんところがあるしのう。と言うことで今回はちと辛めの評価となるかもしれん、申し訳ない。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事
蜀志『後主伝』によると、劉禅が鄧艾に降伏した日、北地王劉諶が国の滅亡を悼んで、まず妻子を殺害し、次いで自殺した、とあるんじゃ。また裴松之注『漢晋春秋』によると、降伏しようとした際、北地王劉諶が怒って言ったんじゃ。
「もし我が道が窮まり力屈して、敗北が必至になったならば、父子君臣、城を背にして一戦を交えるべきです。共に国家のために死んで(地下の)先帝にお目にかかりましょう。」
じゃが聞き入れられないとなると、劉諶は昭烈皇帝(劉備)の廟において慟哭し、先に妻子を殺してから自殺したんじゃよ。
ふむ、唯一抗戦を主張していることから、軍事を高めにしているか、自ら妻子を手にかけ、自害していることも、軍事の高さを補強している感じかな。
統率・知謀・政治
さて、他に関してじゃが、統率は結局彼の抗戦案に誰も同調しなかった点を、また知謀や政治に関しても、抗戦が時宜に適った案であったか、と言うと感情的なだけであって、情勢をきちんと判断できていた、とは思えないんじゃよな。
まあ、諸葛瞻達が鄧艾に敗北して、ほぼ中央軍が消滅している状況で戦えと言うのはさすがにな。
もし徹底抗戦をするとしたら巻き込まれる一般人は良い迷惑ですからね。心意気や意志の強さはともかく、知謀や政治に関してはあまり評価できない、と言う感じですか。
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簡単解説
三国志14と天舞三国志はどちらも政治が少し高い評価となっているんですね。師匠とは違う評価ですね。
まあお主の師匠は少し感情的になっている部分はあるであろうが、三国志14の評価も無理やり高くしている感じはあるな。
多分、一番まともな評価をしているのは天舞三国志のような気がしますね。
そうだな、お主の師匠と三国志14はちょっと客観的な評価ができていないように感じるな。
まあ、ワシの評価が今回はあまり客観的にはできていないことは理解しているんじゃよ。ただ、まあこれも評価の一つと言ったことで許してくだされ。次はいよいよ大物の登場じゃな。少し次は時間がかかるかもしれんのう。
ふむ、次はあの人物か。それでは今日の所は俺も帰るとするか。次もよろしく頼むぞ。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。