三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹丕(そうひ) 字:子桓(187~226)その4

さて、今回は曹丕が皇帝になった後、下した詔勅の続きじゃな。なかなかテキストに起こすのも大変じゃのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹丕が皇帝になった後に、下した詔勅の数々、前回からの続きじゃな

なかなか進まないな、まああれだけのテキストを一気にまとめるのは大変だがな。 

今回ぐらいで終わりそうでしょうかね。

どうかのう、もう一回ぐらいはありそうじゃがな。それでは早速見ていこうかのう。

人物紹介 

221年3月の詔勅

魏志『文帝紀』にある出来事があり、それに関する詔勅じゃな。

黄初二年(221年)三月二十九日(戊辰の日)晦、日食があった。

所轄の役人は大尉(当時は賈詡)を罷免するよう上奏した。詔勅に言う

「災害異変の出現は元首を譴責するものであるのに、股肱に責任を押し付けるのは、一体禹や湯が己を罪した道義に合おうか。

よって百官に命ずる、各自その職務を慎め。後に天災があっても、二度と三公を弾劾するでないぞ。」(『文帝紀』)

実はこの頃、日食がちょくちょく発生しているようなんじゃな。次は日食に関わることではないが、当時の人材登用の姿勢を表したものじゃな。

黄初三年(222年)春正月丙虎の日、朔(ついたち)日食があった。庚午の日(五日)許昌宮に行幸した。詔勅に言う

「現在の上計吏と孝廉は古代における貢士(諸地方から推挙される人物である。十軒の村にも必ず忠誠信義の士が存在するものだ。もし年次を限定してはじめて人士を取るとするならば、呂尚や周の太子晋は前代において名をあげなかったであろう。

郡国に選抜者の老若にこだわることなきようにと命じよ。経学に通じている儒者、法律に精通している官吏は、到着すれば全員試用するであろう。

所轄の役人は、故意に事実に合わない推挙をなした者があれば糾弾せよ。」(『文帝紀』)

孝廉は人口に対し、年数を区切って一人二人と推挙していく手法だ。だがそれでは太公望呂尚のような人物は市井に埋もれてしまうし、人口の少ない所の人材がなかなか挙げられないと言う弊害がある。これはその根本を解決するための詔勅だな。

内容としては九品中正法にも通じることになるのでしょうか。

恐らくこの詔勅の前後から、人材を登用していくための法整備を整えていたのではないかな。

また同年の九月に少し変わった詔勅を下しているんじゃよ。

九月三日(甲午の日)、詔勅を下して言う

「そもそも婦人が政治に関与することは、乱の本源である。今より以後、群臣は太后にに事を上奏してはならぬ

后の一族の家は、政治を補佐する任務を引き受けてはならぬ。また欲しいままに領土を伴った爵位を受けてはならぬ。

この詔勅を後世に伝えよ。もし違反する者があれば天下は、協力してその者を誅滅せよ。」

九日(庚子の日)皇后郭氏を立てた。天下の男子にそれぞれ二級ずつ爵位を授けた。連れ合いのない男女、重病の者、貧窮して自活できない者に穀物を下賜した。(『文帝紀』)

一瞬女性の参政権を侵害する話かと思いました。違ったのですね。

そもそも、この時代に女性が政治に参加する、などと言う意識もないからな。これは後漢外戚によって食い物にされていたことから、皇后の一族の権限を抑制する者だ。

そう言えば、外戚は上のようにして権限を抑えていましたが、もう一方の宦官はどうなのですか?

文帝がその辺りを見過ごすはずがない。当然対策は行っている。少し時代は前後するが、まだ魏王であった220年に次の逸話がある。

黄初元年二月十六日(壬戌の日)太中大夫の賈詡を太尉に、御史大夫の華歆を相国に、大理の王朗を御史大夫に任命した。散騎常侍・侍郎を各四人設置した。

官職についている宦官は、諸官署の令以上に登ることを許さないとし、金製の札を作り布令を記し、それを文書保管庫にしまった。(『文帝紀』)

前時代の問題をきちんと分析し、対策をきっちり行っていると言うのは為政者としてすごい有能じゃないですか。確かに政治面は曹操以上と言うのも分かるような気がします。

そうじゃな。それでえはあと一回、曹丕に関する詔勅、そして総評を行ってしまいとしようかのう。 

ふむ、今日はここまでだな。俺も帰るとしよう。 

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いいたしますね。

 

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